■ 走矢灯 JUNK TEXT 98年秋


■ 頑張れPadie (98/9/1)

 というわけで、ようやくバナー描けました。ちなみに「流れる雲の行方」と言う絵です。なお原寸大で見るとこうなります(→)。

 詳しいことは後日コメント書きたいと思いますが、とりあえず今回減色に使ってみたのが Padieと言うソフト。CGネットワーカーズで紹介されてますね(それより先に見つけてたんですが)。画質はシェアウェアの pag1や OPTPiXに僅かに及ばないものの、かなりのものですし、元々色数を抑え目に描いた絵や小さな絵ならまず見劣りすることはないです。
 何よりFSWなので、心情的にはこっちを応援したいものが(^^;。

 【Padie】  【pag1】  【OPTPiX】


■ 台風一過 (98/9/25)

 二過ですかね。8号と7号立て続け。
 …というわけで高知は大雨とものすごい雷(何故?)。7号の暴風雨域に居たときは晴れ間さえ覗いてたのに(高知でも東部はすごかったらしいですが)、過ぎていってからもう、この世の終わりのような天気。「ノアの箱船」の洪水ってこんな感じじゃないかと思いましたね。実際箱船の話は、何千年だか前のメソポタミアの大洪水を宗教的に脚色したものではないかと言う話もありますが。

 まあ雷はこれだけものすごい音立てて落ちまくったのは記憶に無いです。雨の方も4000戸浸水したとか何とかで、今朝バイト先の新聞屋から電話が掛かってきて、道路の冠水で販売店に新聞が届いてないので、待機しておいてくれだそうです。この天気の中配達せずに済んで助かったといえば助かったのですが。

 なお現在は雨、雷とも小康状態。でなきゃパソコンも使いにくいですからね。一応雷ガードはコンセントに差してありますが不安。


 …と、ここまで書いてアップしようとしたら、何かモデムのスピーカーから声が聞こえるんです。アクセスポイントに電話で掛けて見たら「こちらはNTTです。ただいま電話が繋がりません。現在原因を調べておりますのでもうしばらくお待ち下さい」だとか(汗)。電話関係も結構被害出てたみたいですね。

 それにしても雷の充電設備とか出来ないんですかね…電力需要の何割かはカバー出来そうな気が。


■ 水害の続き (98/9/26 〜)

 前回は悠長な?こと書いてましたが、今朝26日の朝刊の市東部の写真(25日正午撮影)見たら、道路の冠水どころか水没でした。同じ市内でほんの十数km向こうなのにこうも違うものか。
 午後から気になって東部のその付近を見てきましたが、その時は水はだいぶ引いてましが、場所によっては残っているらしいです。


■ 使用価値と商品価値

 中央公園に山積みの、水害"ゴミ"の山を目にしました。結構凄い量だったんですが、清掃車が来たものの積み切れずに残していったそうで、持っていく前はさらにたくさんあったらしいです。

 その中でふと目に止まったのがお菓子の箱。もしやと思って見たら案の定未開封。外箱が濡れてるだけで、中はまずビニールで包装、さらにアルミパックで個別包装の代物ですから当然中身には何の影響も無い(実際持って帰って食べました(^^;)わけですが、それでも「商品価値は無い」んですね。

 物によっては、例えば衣服の場合は水濡れ品特価とか書いて売ってた店も多いのですが(それでも半額から8割引。一度洗濯すればほぼ元に戻るにもかかわらず、そこまで商品価値は落ちる!)。売ることの出来ないものも多かったわけで、まあそういう「使用価値はあるけど商品価値の無い」ものが結構捨てられていたわけです。そりゃ本当の?ごみも多かったようですが。

 結局、今の社会では物そのものよりも、それに商品というレッテルが貼られているか、ゴミというレッテルが貼られているか…そのほうが価値判断の基準として重要になってしまっていて、それも被害を助長したんでしょうね。

 余談ですが、伝票の束が捨てられてたりもしました。パニック時とは言え…いいのか、おい。


■ 救援効率

 これ位の災害になると、赤十字関係だけでも西日本全域の支部から救援物資が届くんですね。それはいいんですが、それが避難所に届いたのは1日遅れ。着いた当日はほとんど東部の拠点に運びこんだだけでした。
 それがまた何とも非効率なことをやっていて、一旦トラックから降ろしてた後、拠点に運びこみ(うち1/4程度が2階、半分が3階)、翌日その荷物をまた1階におろしてトラックに再度積み込んでから、ようやく避難所に発送されるわけです。

 まあ、運び上げるときはエレベーターも水に浸かって故障してましたから、階段の1階から3階まで人を1〜2m間隔で並べてバケツリレーよろしく荷物を順送りで、同時に7,80人は居たでしょうか。人手と時間の使い方を思いっっっ切り間違えてる。
 一刻も早く現場へ届けるべきでしょう! と上の人に言ってた人も居たのですが、結局そういうシステムでしか動けないんですね…。

 そう言や阪神大震災のときも、行政機能が回復したら救援効率が落ちたと言う話があったような。


■ トラックの積載効率

 体質としての非効率に比べれば細かい話ですが、以前に引っ越しのバイトやってた関係で気になったのがトラック等への救援物資の積載効率の悪さ。多少は輸送効率、救援効率を落としているはずです。上手い人ならおそらくあと15%は余計に積んでいたはずですから。
 運送会社と災害時のボランティア契約でも結んでおくなりしておけば多少は救援効率が良くなるかも。


■ 優先順位

 かなり早い時期に学校の復旧の話が新聞に出てました。「子どもたちに何とか早く授業を受けさせてやらないと」だそうです。当の子どもたちの気持ちはどうなんですかね。水害でダメージ受けてるところに一日も早く授業再開なんぞされたら拷問以外の何物でもないと思うのですが…。

 その問題を抜きにしても、衣食住の確保やけが人の手当てのほうが先ではないかと思うのですが。


■ 生活スタイル

 帰って、何か部屋が散らかっているのが気になって掃除しました。それ程は片付かなかったですが。

 普段は部屋が散らかっていてもあんまし気にならないのに、せっぱ詰まったりいらいらしたり、気分が悪いと片付けたくなる、というのは「ちびまる子ちゃん」にも出てきましたね。私もそういうことあります。認知心理学によると、普段は散らかった部屋=負荷の高い視覚情報を受け入れるゆとりがあるが、焦りや悩みに脳の情報処理力を使ってしまっている状態だと、そのゆとりがないため、視覚情報の減らす行動をする、ということらしいのですが。
 とにかくあんまし気分はすぐれないわけで、眠れないので布団の中でこんなこと書いてたりしたのですが(この後は後日書いたもの)。


 まあ、商業地のごみも凄かったのですが、宅地のごみも壮絶でした。で、例によって本当に捨てる必要はあっただろうかと思うものも沢山。

 もし終戦直後だったら、今回出されたごみの半分以上は、おそらくごみとしては扱われなかったでしょう。でもいつのまにか使用価値と商品価値はかけ離れ、「修理するより新しく買うほうが安い」のが当たり前になり…何かトラックのどてっ腹に書かれた「混ぜればごみ、分ければ資源」の文字が思いっ切り空しいものがありました。

 救援活動も、大量生産大量消費の呪縛の下でしか動けなくて、ボランティアの人にお茶がペットボトルで出て、その空がごみに加算されたりする。「お茶を沸かす」という概念自体既に過去のものなんですかね。今の小学生くらいだと、やかん見たことないのかも。


 結局、自分の部屋も五十歩百歩なわけです。あんまし物は買わないほうだと思っているのですが、それでも多いです。そのうち毎日使っているものは2割くらいでしょうか。もっと小回りの効く生活スタイルって必要でしょうね。実際非常時になったら何持って逃げるかと考えてみたんですが、ちょっと途方に暮れてしまいました。


 復旧すべき部分は沢山あります。でもこのまま何もかも元通りに「復旧」してしまってはならないはずなのです。今回のことが何の教訓にもならなかったら。景気回復、消費拡大の大合唱に、災害の記憶は呑まれてかすんでしまったら。


■ 「防災都市」の限界?

 高知市の排水設備は時間雨量77mmまでは耐えられたそうです。でも今回は80mmとか110mmとか何時間にも渡って降り続いたわけです。

 もしかしたら今度は150mmに増やそうとか言う議論になるかも知れませんね。でもおそらく水を力で排除しようという発想では限界ではないかと思います。いくら排水ポンプや下水道を整備しても、川の容量が限界に達してしまったらどこに排水するんでしょうか? 堤防を高くすれば川の容量自体を増やせるかもしれませんが、それが決壊したらさらに大変です。
 むしろ水を(被害の出ない形で)受け入れるような発想が必要ではないでしょうか。今回の災害の一因としても山の保水力の低下が言われていますし、それはそれで早目にどうにかすべきなのですが、同時に都市にも保水力が要ると思うのです。
 透水性の舗装や、雨水を貯めて中水道として活用するような設備が普及していれば、雨水は一気に川に流れ込まず、多少なりとも結果は変わったかも知れません。

 後者は水害だけでなく、火災や渇水の対策としても必要だと思います。実際豪雨の1週間前までは渇水でしたし、水害で水道管が切断されて水が出なくなっていた場所もありました。


 それにしても、次回の南海地震(高知は90〜100年周期でマグニチュード8強クラスの地震が来る。あと20年か30年後らしい)は大丈夫なんですかね。今回の状況を見てるとかなり不安なものが。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる人間が、忘れたころにやってくる災害に勝つのは容易ではないのでしょうが…。


■ ようやく晴れて

 9/30、台風9号が停滞していた前線に湿気を供給したため、再び強い雨。でも結果的にはその台風が前線を引きずって持って行ってくれたため、翌日には長期予報より早く晴れ間が戻ってきました。
 でも私のほうはこの頃から復旧活動をさぼりがち(ぉぃ)。

 何か、我に返る余裕が出来るとかえっていろいろ考えてしまって、精神的に疲れるんですね。そりゃまあ筋肉痛その他もありますが。
 もっと効率的な復旧が出来るような気はする、でも何が最善手なのかはよく判らないし、判ったとしてもそれを実行する力は無し。

 まあ別に復旧作業だからじゃなく、普段から何をやっても、こんなことやってる場合じゃないような、ほかにすべきことがあるような気がして立ち止まる…で、その結果 1日の3/4はぼーっと考えごとしてるか、疲れて寝てるか、どちらかになってしまうわけで。

 どうすりゃいい? 自分に何が出来る?
 …考えている間にも時間は容赦なく過ぎていくわけです…。

■ 文章の中の自分 (98/10/15)

 普段の頭の中では、一人称が「私」のですます調で考えてるわけは無いのですが、何か文章書くとこうなります。
 そのほうが書きやすいかと言えばそうでもなくて、何か違うな…という気はしているのですが。単に書き言葉/話し言葉の差と割り切るには無理があるレベルで(元々ネット上の言葉って会話と文章の中間みたいなものですからね)、「私」は「俺」とは別人ではないかという気さえしてくる。
 どうにかすべきかなあと思いながら、見栄なんだか惰性なんだか変わりません。

 昔から言葉の変更は出来ないほうです。例えば物心付いたときから両親を「パパママ」で呼ぶようにしつけられてて、中学入る頃にいい加減みっともないなーと思ったんですが、すぐには変えられない。で、どうしたかと言うと、呼ばなくなった(ぉぃ)。
 あと割と最近まで「女の子」って言えなかったです、何か恥ずかしくて。高校までは「女子」で通してて、大学入ってからですね。これもずいぶん精神的葛藤?があったものです。
 と言うか、自分が変わったと周りに思われたくないのが強いのか…。

 ちなみに一人称は小学校時代だけが「僕」で、それ以前/それ以降は「俺」なんですが、周りの人間がある程度入れ替わる変わり目で変えてますね。


■ 宗教史観のパラドックス (98/6/14 → 10/15)

 「愚かな人間は全能の神の意志に背き、堕落している」
 …とは宗教のお約束図式ですが、どう考えても全能の神ならわざわざ愚かで自分の意志に背くようなものを作りはしないでしょう。

 でも、それが逆だとしたら…「人間は神の意志に忠実に、堕落している」のだとしたら…? どうもそう考えたほうがつじつまが合ってしまうというお話。

 例えば、確か浄水場で水の浄化をする場合、濾過できないような細かい不純物を除くのに、逆に不純物?(凝集剤)を入れるんです。それに細かい不純物が集まってくるので、そうしておいてから沈殿、濾過するわけです。
 昔は、部屋の掃除をするのに、お茶がらや新聞紙を湿らせてちぎったものを撒いてから、ほうきで掃き集めてたというのもありました。それに埃がくっついてくれるわけですね。

 どんなきれいに見えるものでも、汚れがゼロと言うことはありえないわけで、微量の汚れが積もってたり、溶け込んだりしているはずです。
 それを効率よく回収し処分するために人間という凝集剤を投入したのだとすれば…?
 効率よく汚れを吸収した状態が堕落なのだとすれば…?


 …まあ仮説に過ぎないわけですが。

 でも自分の意志だと思っていることが、本当に自分の意志なのかを問い直してみるのは大切ではないかと思います。いつの間にか何かに操られているというのは、その何かが神であろうが無かろうが面白くないものですから。

■ 「お元気で、ご無理なさらないで、頑張らないで、ご活躍ください」(98/10/19)

 『これは佳子の生前の口癖の一つでした。でも私から見て本人は人一倍の頑張り屋でした。本人も「やっぱりあるんだな、頑張る事は美しいって言う美学が」と言っていますが、「登校拒否」とのつきあいのなかでそういう自分のなかの「カンバリズムとテキトーにつきあおう」と思いはじめていたようです。不登校がごく普通の選択の一つとして受け入れられ、「親の会」や「考える会」などでことさら頑張る必要がない状態が早くやってきますように、この本がそのために少しでもお役にたつことができればと願っています』

 (「拝啓松永佳子さま ダシにしてごめんね」おじゃこの会編/南の風社 より)

 松永佳子(よしこ)さんとは、私の大学時代の非常勤講師です。
 面白い講義に出会ったことはほとんど無かった大学時代ですが、この人の講義はほんと面白かったです。
 講義を受けたのは1回生と3回生の時で、その3回の時に途中で入院してしまいました…そしてそのまま帰らぬ人になってしまいました(1993年1月29日)。
 後で知ったのですが、その6年前から癌にかかっていたのだそうです。

 当時は全然気が付かなかったのですが、後で思えば確かに「はかなげ」なところ、妙に悟りを開いたような所があったなと思いました。
 当時40代後半でしたが、時々10代の女の子みたいなかわいい顔して笑うのが印象的でした。


 …で、その人の、教育問題関係の遺稿集です。
 本人もですが、夫も社会科学系の研究者で、両親揃って学校制度と言うものに疑問を持っており、自分の意志を強く持った長男を見ていて、このまま学校通い続けていたら折れてしまうな、と思っていたそうです。
 その長男が「登校拒否」したときは、「やった、やっと休んでくれた!」と思ったそうで(この人らしい!(笑))…でも本人(長男)のほうはすごく落ち込んで、自殺寸前まで思い詰めたそうで…
 学校なんか無理に通うに値するほどのものじゃないもの。もっと他の生き方を求めることが出来ることは誇っていいことじゃないの。
 それでも、理解者が居ても、それだけじゃ駄目…そもそもその「理解」は十分だったか?
 そこから始まった問いと実践…が書かれた本です。


 先日、大切な人を失いかけるところでした。
 生涯のライバルの一人で、もしかすると命の恩人だったかもしれません。
 その時にこの本を思い出して読み返してみたのです。
 やっぱし、自分がその人を追い詰めてた部分はあったろうな…と思いました。

 …命の境界線上で闘い続ける苦しさ。
 そして時に人を励ます事が、どれほど人に重圧を掛けることなのか。
 「自分に何かしてやれる事がある」という思い上がりが、どれほど深く人の心を切り裂くのか。
 …知っていたんです。でも判っちゃいなかった。


 お元気で、ご無理なさらないで、頑張らないで、ご活躍ください…
 いつかそういう視点に立てるようになりたい
 …そうなるための機会をもらえたと思います。
 その人は、何とか生きていてくれたので。

 私はその機会を生かせるでしょうか…。

■ 通信上で「聞く」ということ (98/10/20)

 『小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
 でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです』
  (「モモ」ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳/岩波書店 より)

 落ち込んだとき、人に愚痴聞いてもらって、頭の中のごちゃごちゃを吐き出してしまうと、ずいぶん気が楽になるものです。落ち込んでないときでも、話を聞いてもらえれば嬉しいものです。
 でも本当の意味で「聞く」というのは、ものすごく難しいことです。
 つい、口をはさんでしまったりして、ただ「聞く」ということはなかなか出来ないんですね…相手はごちゃごちゃを吐き出すどころか、逆に余計なもの抱え込むはめになったりして。

 通信上の掲示板やメールの場合、「聞く」ことはさらに難しいことかも知れません。何せ本当に聞いて(読んで)いるだけでは、ROMになってしまい、読んでいるのやら無視しているのやら区別がつかないのですから…。
 特に落ち込んでいるときだと、どうしても悪いほうに考えてしまうので、無視されているんだろうな…と思ってしまいます。

 1年半ほど前、私が落ち込んだときに草の根ネットで話を「聞いて」もらったことがありました。今では立場が逆になってしまいましたが、一つ違うのは、私には「聞く」能力が欠けていたことです。
 「アドバイスをする」だけなら簡単なのに、ROMにもならず、押し付けがましくもならず、ただ「聞く」ことの難しさ!
 読んでいるということを伝えたいのに、伝える言葉を思いつかなくて、下手に書くと重荷になってしまう、書かないと無視されているような寂しさを与えてしまう…。


 『たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間の中のケチな一人で、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界中の人間の中で、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな存在なんだ。
 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!』
  (同じく「モモ」より)

 モモはその力ゆえに時間貯蓄銀行員:灰色の男たち(効率主義を擬人化したような存在)の攻撃を受けます。生きることも死ぬことも無い部品であることが求められる社会で、人として生きる人間は邪魔でした。それは排除か、治療矯正の対象でなければなりませんでした。
 灰色の男たちに支配された街に、時の神マイスター・ホラの元から帰ってきたモモの居場所は無かったのです。

 今の社会では「聞く」力を持つ人間は、みんな追いつめられてしまっているのかも知れませんね…それでも「聞く」力がほしいです。
 モモは最後に奪われた時間を開放しました。その千分の一でも一万分の一でも、私に何かできるでしょうか。

 なお「モモ」についてちょっと付け足しておきます。何か上の紹介だと風刺主義の権化みたいに感じてしまうかも知れませんが、実際は確かに風刺的な部分を含むものの、暖かくて楽しい童話です(宮崎アニメのような感じと言えばいいでしょうか)。ぜひ読んでみてください。

■ 急がば回れ (98/10/20 → 10/21)

 漫画描き始めて…描こうとし始めてというべきか…9年、いまだに1作も完成してません(自爆)。
 まあそれが「急がば回れ」を実践した結果で、少しづつ着実に進んでいる…のならいいのですが、どっちかというと「急いで逃げ回った」状態です。幸か不幸か器用貧乏な私はイラストや漫画以外にもプログラムしたり論文(?)書いたりと、いろいろ逃げ道があるもので、行き詰まるとすぐ他のことに逃げてしまうのです。
 結局結果を焦り過ぎて、早く結果を出せそうな(と錯覚をした)ものに移って堂々巡り…で何も出来ないだけで、「急がば回れ」の境地には程遠いのでした。

 商業誌の週刊連載に近いペースで(しかもアシスタントも使わずに)CG漫画描いたあげく、クオリティに満足出来ないからと自分に才能がないように思い込んでしまう人も居ますが(どう考えても生身の人間がまともなクオリティ出せるペースじゃないような…)、せっかちさでは五十歩百歩のようです。

 少女漫画家の谷川史子さんのデビュー時の「年に1.25作しか描かなかった」という話を読んで、当時4年ほど1作も描けてなかった私は「あ、自分に似てるな」…と思ったものですが、今思えば全然別物だったのです。「急がば回れ」を実践できていた人なんですね。
 羨ましいです。

■ 私が漫画を描きたいのは (98/10/25)

 「……なんてカッコつけてはみたものの…
  マンガを描く事で…僕は自分を治療しているだけなんですよ。
  自分の事を勘定に入れないで描けるマンガ家なんて居るんでしょうかね?」
      (「編集王(16)」土田世紀/小学館 より)

 この作品、いろいろありましたが全編に渡って「強い」印象が残っています。漫画(や他の商業創作)界の商業主義による歪みと、それに屈しない「強さ」を一貫して描き続けてきた作品だと思いました(それ故マンネリに感じる部分もあるのですが)。人間の弱さを描いた場面は結構ありましたが、こと創作に対する信念に関しては揺るぎないものを持っていると感じていました。
 だからこそ上の、最後に出てきた弱音のような台詞は妙に意味深に思えたのです。

 結局漫画描くってそういうことなのかも知れません…私の場合も描くのは自身の願望であったり、愚痴であったり、今までの人生で山積みされてきた「あの時ああ言えばよかった、ああすればよかった」の具現化だったり(一番多いのは「あの時教師にああ言い返してやりゃよかった」か)。

 ただそれを見て、同じ立場にある(あった)人の気持ちが癒されてくれればいいなとは思うのですが。
 おそらく「人の心を癒せる漫画」というのは、意図や計算で描けるものじゃなく、結果たまたまそうなるものなんでしょう…自分の思いのままをぶつけた結果、共感できる人は出来るし出来ない人は出来ない。癒される人は癒されるし癒されない人は癒されない。
 …それでいいんだと思うのです。意図や計算で自分の思い以上のものは創れないはずですから。

■ 文字と音声の東京弁 (98/11/7 → 11/8)

 大学時代に学祭で自主制作映画の上演を見た時のことですが、何か台詞が不自然なんですね。アマチュアですし演技力不足は仕方ないのですが、それ以前に何か「無理矢理東京弁使ってる」感じがしたんです。
 おそらく台本見る分には違和感無いんでしょう。と言うか文字だと東京弁表記に慣らされてしまっているので、全国どこの人でもそれ以外では書きにくいと思います。でもそれをネイティブスピーカー(?)でない素人が喋るのは無理があるわけで。

 実際自分で漫画の台詞書いても、頭の中で発音?してみると不自然と言うか芝居掛かったと言うか妙な感じで、かと言って台詞のほういじると見た目が不自然で、まあどの辺で妥協するかで悩んだり。

 確かに非東京弁表記の漫画は多いです。でもそれらは何か地域性を強調した観光案内的な作品になりやすいのです。もちろん地域性をテーマにするのは悪いことではありませんが、そうでない作品を非東京弁で(あるいは関東近辺以外を舞台にして)描きにくい、というのは何か問題を感じます。
 また特定のキャラだけが非東京弁という手法もよく見かけますが、これも個人差と言うより地域イメージの代表のような形にされてしまっている場合が多いです。
 確か大坂の人で「関西弁のキャラは決まって強気なのはなぜか、大坂にも弱気な人間は居る」のように言ってた人が居ましたが、土佐弁のキャラなんかそれどころじゃないですよ(^^;。

 まあ外側から見れば当たり前と思っていることでも、内側から見れば偏見と言うか、目立つ部分だけが誇張されている場合は多いのです。世界にはまだまだ、日本と言えば「フジヤマ,サムライ,スシ,ニンジャ…etc.」というイメージの人がいるのですから。

 何にせよ、もっと非東京弁による文字表記(文章表記という意味ではない)を一般化するべきでしょうね。地域性を強調する手法ではなく、書き手が一番自然な形で書く手法として。
 …と思いつつも、目先の違和感を避ける方向へ流れてしまったりするわけですが。


■ 「東京弁」と「標準語」 (98/11/8)

 東京人はまず「東京弁」と言わないですね。それを指す場合標準語なり共通語と言うわけです。まあ逆に言えば非東京人で絶対に「標準語」とは言わない人も多いのですが。

 でもそれ以前に「東京弁」と「標準語」は別物なのではないでしょうか? 書き言葉の場合はともかく、話し言葉に「標準語」は存在しないと思います。ニュースのアナウンサーが喋ったり、あるいは形式ばった場で使われる、日常に無い人工言語?としての「標準語」は全国共通に存在しますが、東京近辺の日常的な話し言葉は全国共通ではありません。
 その2つをごっちゃにするのはどうかと思うのです。

 原因の一つに「東京弁」も、土着のものと言うより人工言語的な要素が強いのがあるかも知れませんね。詳しい経緯は知りませんが、「高度成長期」に元の何倍もの人口がなだれ込んで、それ以前の江戸弁?(「江戸っ子言葉」)から離れた言語を形成してしまったようなので。

 だから外部から見た「東京弁」の中にはあちこちの方言が含まれているようです。私自身ずっと、語尾の「じゃん」は東京弁だと思っていたのですが、東京人に言わせれば横浜弁だそうで。なお横浜人に言わせれば静岡弁だとか。まさかルーツたどっていったら全国一周したりしないだろうな!?(^^;

■ 4コマの作画に2週間(爆) (98/11/18)


 …というわけでトップページのCGメニューに漫画のコーナーを追加(まだ1枚ですが)。にしても作画に時間掛かって困ったものです。内容のある話ならともかく、一発ギャグにそれくらい掛けてると、なんかものすごく間抜けなことしているように思えてきます(^^;。
 ネタに至っては3年くらい前に思い付いたものだったりして。「抱きしめたい−両手でも足りない2-(谷川史子)」読むよりちょっと前です。ほんとだってば(;_;)/


走矢灯 JUNK TEXT(TF****.HTM)  設置:98/2/8

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