Asile.4 シネマの橋      

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ここは、ある一時期映画マニアだった私が、忘れ難い映画について綴っているページです。
古かったり、めっちゃマイナーだったりする映画が主で、最近の話題作は全然ない世界。(笑)
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灰とダイヤモンド (1958年 ポーランド アンジェイ・ワイダ監督作品 ) 

   

今年のアカデミー賞の中で、名誉賞という賞がアンジェイ・ワイダ監督に贈られました。この監督は、祖国ポーランドで様々な弾圧を受けながらも「世代」、「地下水道」、「灰とダイヤモンド」、「鉄の男」等々、数々の秀作レジスタンス映画を撮り続けてきた反骨の人です。
天声人語で読んだのですが、ワイダ監督はかつて来日した際、こう語っていたそうです。
「いまや映画といえば、アメリカ流の映画しか意味しなくなってきたのではないか。ところが、現実の世界には多くの国があり、それぞれの事情があり・・・、アメリカ流だけで、すべてを表現することはできないのです。」
この監督に賞を贈った本当の意図がどこにあったかはわかりませんが、アメリカ流の大資本型”感動(?)の娯楽超大作”がすっかり主流のこの時代に、ワイダ監督にアカデミー賞が贈られ、「灰とダイヤモンド」のような作品がもう一度見直されることは、今の映画界にとって必要なことなんだろうと思います。← 我ながらめっちゃクソ生意気な言い方なんですけどぉ〜、そー思うのよ〜、許して♪(笑)

舞台は、1945年。終戦直後の焦土と化したポーランドのとある町。
主人公マチェク(ズビグニェフ・チブルスキー)は、祖国の自主独立を目指し、ソ連傀儡政府に抵抗する組織の活動員として、政府側の要人シチュカの暗殺という任務を遂行しようとしているところでした。
しかし、シチュカ暗殺のために泊まったホテルで、マチェクはバーで働く娘・クリスチーナ(エバ・クジジェフスカ)と出会い、二人は瞬く間に一夜の恋に落ちます。
大戦中の対ナチズム運動の頃のような明確な目的と信念を見失っていながら、人の命までを奪うテロを繰り返している自分の生き方に疑問と空しさを感じているところだったマチェクは、クリスチーナと出会ったことで、レジスタンス活動から身をひき、ごく普通の学生としてごく普通の暮らしをしたい、祖国のためだけに命をかけてきた生き方を変え、自分自身のために生きることを始めたいと、本気で願います。
ですが、シチュカの暗殺は人まちがいをして一度失敗していたため、マチェクはその責任を果たそうと、迷いながらも銃をとり任務を遂行。
そして、追っ手から逃がれ、再び活動員としてだけ生きていく自分に戻るために、マチェクはクリスチーナに別れを告げ、仲間と共に別の土地へ旅立とうとします。が、政権側の衛兵に発見されて銃で撃たれ、広いゴミ捨て場の中でもがき、あえぎながら、誰に看取られることもなく、虫ケラのようにあっけなく死んでいくのでした。

マチェクが恋したクリスチーナが「どうしていつも黒めがねを?」と聞くと、マチェクが「祖国への報われぬ愛の記念に。」と答えるシーンがあります。とうとう報われぬまま、死にたくないと泣き叫ぶようにして息絶えていくマチェクの死がたまらなくやりきれず、心に突き刺さるラストシーンでした。
でも、命がけの政治活動をつづけて死んでいった若者は、色んな国の色んな時代にたくさんいて、今この時だってマチェクのような孤独な最後を迎えている命があるのですよね。見えていないから感じていないけれど、それが、私たちが生きているこの世界の現実の一段面。

「灰とダイヤモンド」は、事実上のソ連支配化という事情を抱えていた時代のポーランドで撮られた映画です。ソ連側の検閲があったにもかかわらず、この作品をこのように完成させることができたのは、とーっても不思議ですが、検閲する側の人間が、”間違った抵抗活動なんかしてると、マチェクのように虫ケラみたいに死んじゃうよ〜。”というメッセージになるとでも、勘違いしたのかもしれませんね。(笑)
しかしこれはモチロンそんな映画などではなく、祖国ポーランドへの愛国心(戦時中の日本帝国主義のナショナリズムみたいなのとは、違うんですよね。)に燃えて生きた若者たちの魂に捧げられた珠玉の名作です。「あなたたちが燃え尽きてただの灰になってしまっても、それがどんなに無力なように見えても、命がけで生きたその人生は、誰かの心に輝き続け次の時代を照らしていく!」と、かすかでも決して消えない強い光がこめられている気がします。

また、祖国ポーランドへの愛国心という現点に立ち戻れば、マチェクが暗殺した相手のシチュカという政府の要人も、心は同じでした。マチェクたちと、シチュカたちが、それぞれ別の場で、ワルシャワ蜂起の頃に飲んだ強い酒と、その頃に死んでいった仲間たちについての、同じような思い出を語っているシーンがあります。敵対する立場となったマチェクらとシチュカらは、大戦中は、志しを同じくしてナチスと闘ってきた同志だったわけです。それが今度は敵同士となって命を奪い合っている政治の混乱、矛盾、どちらが善でどちらかが悪かの答えなど見つけられない渾沌、テロリズムの容赦ない残酷さ。そういうすべてがとてもリアリティがあり、辛く、空しく・・・。しかし、そればかりでなく、時折りとても詩的で美しく描かれているところが、この映画の素晴らしいところです。
シチュカと間違えてマチェクとその上官が殺した相手が倒れこんで、教会の扉がゆっくりとあくシーン。マチェクがシチュカを暗殺した際、生き別れた息子に逢いにいこうとしていたシチュカが、まるでその息子にするかのようにマチェクを抱きしめながら息絶え、その瞬間、夜空に花火が打ちあがるシーン。
その他にも、何気なく画面に出てくる白く美しい馬や、戦乱で荒れ果てた教会に逆さまにぶらさってるキリスト像などなど。モノクロームの数々のシーンが、とても鮮やかに心に残っています。
また、マチェクを本気で愛したらきっと傷つくことになると思い、自分の心に歯止めをかけているのに、結局マチェクに恋をしてしまったクリスチーナの、別れの痛手に呆然として表情を失っている顔。その頬に伝わるひと筋の涙も、とても切なく印象的でした。アンジェイ・ワイダ監督という人は、バリバリの政治活動家である以前に、豊かで繊細な詩心のある映画人なのですよね。      

最後に、マチェクとクリスチーナが雨宿りのために飛び込んだ教会の墓碑名に刻まれていた、という設定でこの映画の中で使われ、その一節が映画のタイトルにもなっている、ノルビットの詩をご紹介します。この映画と初めて出会った時、胸の奥に深く刻みこまれ、以来ずっと、星のように輝き続けてくれている詩です。






   灼熱の焔が 燃え上がる松明の如く

   君から噴き出る時

   君は知らず 自由の身なるを

   君は知らず すべて失われし時

   灰も昏迷も燃えるものより残され

   その灰の底に ダイヤモンドが横たわり

   永遠の勝利の暁に 星の如く輝けるを

<舞台裏にて>  
ツィプリアン・カミル・ノルビッド作 

 



       

                 

         

The End



                        * ノルビットの詩は、知り合いが持っていたレアものの「灰とダイヤモンド」の
                            サウンドトラックレコード(EP版)に書いてあったものからの抜粋です。
 

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     フォローミー  ( 1972年 アメリカ キャロル・リード 監督作品 ) 
   

楽しくて切なくて繊細で、最高に好きなラブロマンスです。
なのにこれまで「私も好き」という人はおろか、「その映画なら知っている」という人にすら一度も会ったことがありません。
初めて観たのは、ロ〜カル局千葉テレビのお昼のロードショー。(きっちり日本語吹き替え版)しかも今から20年近くも昔のこと・・。げ・・。
何の気なしに録画しておいたこの映画のビデオは、それから何十回も繰り返し再生され、今では画像が絵のようになってしまいました。おかげで、かなりのセリフをほとんど一緒に言えちゃいます。世の中で私ほどこの映画を好きな人はいないんじゃないかと思うくらい。なのでここの文章量は、いつにもまして多くなっちゃいそうです。でも世界は広いから、最後までお付き合いくださる人だって中にはいるかも♪(笑)


舞台は、ヒッピーブーム全盛の頃のロンドン。
会計士チャールズ(マイケル・ジェイソン)は勤勉実直で仕事は優秀。教養豊かで育ちも良く、非のうちどころのないイギリス紳士。その彼が妻の浮気調査を依頼するために、生まれて初めての挫折を苦くかみしめながら、密かに探偵社を訪れるところからこの物語りは始まります。
そもそも彼が妻のベリンダ(ミア・ファロー)と出会ったのは、ある日偶然訪れたレストラン。ヒッピー仲間と一緒にインドを放浪したりしている若い娘ベリンダと出会い、一瞬で心ひかれます。育ちも趣味も価値観も何から何まで違う二人ですが、お互いに、自分には無いものを持っている相手にひかれ合い恋に落ち、めでたく結婚。
ところがいざ一緒に暮らし始めてみると、生きてきた世界の相違が大きくなってきて二人の関係は壊れ始め、ベリンダは日ましに無口になっていく上、毎日朝早くから一人で出かけ夜遅くまで帰ってきません。
そんな妻の様子に、新しい恋人ができたのでは?という疑念を抱いたチャールズが、プライドを捨てて訪れたのが探偵社だったわけです。

そこでベリンダを尾行し始めたクリストホルー(トポル)という探偵は、とても風変わりなとぼけた男です。
彼は、恋人に会うわけでもなく毎日独りで街をさ迷うベリンダの尾行を続けるうち、自分の中にあるのと同じ孤独で自由な魂を感じとりました。そして、尾行者という立場であるにもかかわらず、ある日とうとうベリンダにあたたかい視線を投げかけてしまいます。
その時から彼は毎日、決して声はかけないのだけれど、ベリンダをただあたたかく見守りながら、そのあとを付かず離れず付いて歩くようになりました。(ストーカーとは違います〜!)

そしてベリンダの方も、どこにでもついてくるクリストホルーに最初は戸惑いながらも、彼の中に自分と同じを何かを感じとり、次第に二人で歩くことが楽しくなっていきます。
素敵な植物園や映画館、味わいのあるユニークな街角や賑やかなパブなど。二人は一言も言葉を交わさず目と目だけで語り合い、お気に入りの場所を教えあいながらロンドン中を生き生きと歩きまわります。
でもそんな二人の関係をチャールズが知り、ベリンダの方も、クリストホルーが夫のやとった探偵であるという事実を知る時がやってきて、引き止めるチャールズをふりきり、ベリンダは家を飛び出してしまいます。

クリストホルーはベリンダを探し出しますが、彼女が本当は今もチャールズを思っていることに気づき、愛し合っているのに互いの愛を感じられなくなっているこの夫婦に、あることを提案します。それはロンドンの街中を歩くベリンダに、チャールズがひたすらついていくこと。一言も言葉を交わさず、目と目だけで思いを語りながら。

この映画の原題は「The Public Eye」。「フォローミー」という邦題の方が語感が優しく、響きはこの映画のムードに似合ってるような気もします。が、この原題にはとっても深い素敵な意味が込められています。

クリストホルーのセリフに「世の中の男女には、いい相手が見つからないと嘆く人が多いが、彼らは知らないんだ。互いの心の声にじっと耳をすまし、ただ見つめ合えば結婚できるってことを。」という言葉があります。
ベリンダとクリストホルーは一切言葉を交わさないことで、先入観のない感じたままの愛情と喜びを感じ合うことができました。しゃべらないのだから、立場も職業も価値観の違いも関係ナシ。というと、現実から目をそらしているだけ、という意味にもなってしまいそうですが、それとは少し違います。
この二人はチャールズとは違って、似た者同士の気の合う二人でしたが、”夫から妻の浮気調査の依頼を受けた探偵”というクリストホルーの立場を予め知っていたら、ベリンダは彼のそういう立場だけに心を捕われ、ただの男としてのクリストホルーを見つめ、心を開くことなどあり得なかったでしょう。様々な喜びと愛情を捧げ合いながら二人で歩いた、あの素晴らしい時間は生まれなかったのです。(ただ、クリストホルーとは違い、ベリンダが彼に捧げたのは、友情という愛でしたが。)
人が人に対する時、何の偏見も先入観も持たない純粋な瞳を持つことができれば、その人のもっている素敵な個性や心の声を素直に感じ取ることができる。パブリック・アイとは、そういう瞳を指しているのだと思います。

この映画は私にとってとても大切な映画なので、はなはだ恐縮かつテレますが、私が「フォローミー」にこれほどまでに心ひかれた裏話を書かせてもらっちゃいます。(大〜昔話、しかも柄じゃない恋愛話でスマンッ!)
この映画に初めて出会った頃、私はなかなか辛い恋をしていました。
私たち二人の間には恋人である以前に師弟関係のようなところがあって、とても尊敬している相手だったもので、私は何をしゃべるにしてもその人の反応や評価ばかりを気にしていました。そして、追いつくことのできない差を感じ距離を置いているうちに、その恋は終わっってしまいました。あの時、言葉や理屈などではなく素直な心のままに恋をしていたら、別れはいつか来たとしても、もっと自由に好きな人に愛情をそそぎ、大切にできたことでしょう。
上流階級の教養豊かな紳士であるチャールズから、取り残されたような悲しみを感じているベリンダが「完璧で足りないものなんてないチャールズは、妻なんて必要としないのよ。私のこともいらないのよ。私に何ができる?」と泣いてしまうシーンがありますが、当時の私には特に切ないシーンでした。

恋は盲目。だからつき合っているうちはいいけれど結婚生活の中では通用しなくなり、ときめきや恋心は時間と共にまた別な愛情にシフトしていく。これがよく言われる大方の恋愛&結婚論の筆頭で、異論をさし挟む余地もつもりもありません。
でも「フォローミー」はそれとは全く別の視点から、人と人との関係のあり様を映しています。
「言葉や立場や日常の些末なスレ違いばかりに心を奪われ、理屈ばかりの曇った目でしか相手を見られなくなると、互いの心と心にあたたかく感じ合えたものを見失ってしまいますよ。愛は、頭ではなく心で感じ合わなければ。」
そう語っていると思います。男女の間のことだけではない、もっと広い意味での人への愛です。

偏見や思い込みのない魂の瞳で人を見つめ、その気持ちを素直に感じることができる心の窓、パブリック・アイ。それにずいぶん長く憧れながらも、残念ながら、なかなか持てません。
生き始めてから短くはないので(笑)、その間には男女にかかわらず、忘れ難い時を共有した大切な人なのに、考え方や価値観の違いばかりにこだわり傷つけてしまった人が何人かいます。それでも親しくしてくれて、いい友人のままの人もいますし、もう会えない人もいます。
「フォローミー」は、そんな傷みまじりの思い出と一緒に、ずっと大切にしていきたい映画です。

どうしてるかな。
元気で、がんばれてるかな? 
試行錯誤しながらも、色んな幸せ見つけていけるといいな。

         

        

The End

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   まだ、こんだけでゴメンネ!
     次回の更新は〜〜、えっと〜〜、全くわかんないっす。(笑)