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乳がん航海日誌  

       

  



こんなサイトを開設していると、私はまるで乳がんについて熱心に勉強してきた
強くて賢い患者だったみたいですよねぇ・・。
「乳がんの港」の他のコーナーでは、そーゆーしっかりした人間の雰囲気かもしだして語っちゃってる部分もありますが、
ごめんなさいっっ!! あれって、めっちゃハッタリかましてますっ!(爆)
(だ、だ、だってさ、自分のこと、とりあえず棚に上げて書かないと、文章、先に進まないんだもーーん・・笑)
ホントの私の実体は、虎の皮をかぶって飛びはねては、その辺に頭をぶつけてるマヌケなカンガル〜といったところ。

元来”ヌケててズレてる”が、うれしくないけど実に的を得たキャッチフレーズである私は、
賢いどころか、迷いと弱気とジレンマだらけで乳がんに振り回されてきた
全然しっかりしてない患者でした・・。
っつーか、術後2年近くたつ今でも、主治医に聞きたいことの半分も聞けないしー・・。(笑)

私なりにはがんばりながらも、迷走してきた今までを振り返ってみると
あ〜すれば良かった、こ〜すれば良かったという反省点は山積み。
でも、その失敗だらけの体験談が、反面教師的にどなたかの参考になるやもしれませんので、
この日誌のページでは、うぃんままの闘病の実態と本音、
そして、今になって思う反省点をご紹介していきたいと思います〜。




  日誌を始める前に、母の乳がんについての反省も・・。     

今から5年ちょっと前、母親が乳がんを発症しました。
母は当時すでに70才になろうとしていましたし、もともと体の弱い人だったので
「がん」という病名を聞いた当初、本人も、私たち家族(父、姉、私)も、母は死んでしまうのか・・と思っていました。
私たちまでそんなふうに思っていたため、落胆している母を勇気づけることなんて
ほとんどできなかったような記憶があります。

私は乳がんについての本を探し、何冊かめくって見たのですが、
今思えば、そのどれもがとても学術的で、無機質で、
医学についての知識などまるっきりなく、がんという病名に途方に暮れてる私たちが
身近に感じられて、心の励みになるような情報など、全く得られませんでした。
でも、私の情報収集能力や、母のために動こうとする努力の足り無さにも問題がありましたし、
あの時は、医学関係の情報なんて、そういうもので当然なのだろうと思っていました。

手術について母の担当医から話を伺うと、病期はステージ1。
「乳房温存手術もできます。」と言われましたが、
母の意思は、「がんなんて怖いものができたおっぱいは、もういらない。
私はこんなおばあちゃんなので、全部取っちゃってください!」というものでした。
私たち家族も、この歳になる母は乳房に未練がないのだろうから、
本人がそうしたいと言うならそうするのが一番だろうと思い、それに賛成。
そして結局、片方の乳房を全滴。同時に腋窩廓清し、リンパ転移はナシ。

病弱だった母は手術がこたえ、術後、全身麻酔の影響が尾をひいてしまい、
かなり長いことボォーーっとしていて、ボケのような症状まで現れ始めてしまいました。
銀行に行ってお金をおろす、というようなことすらできなくなってきたので、
私たち家族は母たちと同居することになり、5年後の今に至ります。
ところがその間、母はゆっくりながら着実に回復し、今では見違えるほど元気に!
病弱な母のために同居したはずなのに、昨年は私が乳がんにかかったため
入院中には、この母が留守宅の家事ひと通りをこなしてくれて、とても助かりました。

ただ母は、一緒に暮らし誰より可愛いがっている自分の孫(私の息子)と
術後一度も、一緒にお風呂に入ったことがありません。
この孫にだけは、手術した側の胸を絶対に見られたくないのだそうです。

幾つになっても、”乳房に全く未練がない”、なんてはずはなかったんですよね。
切除する部分が多ければ多いほど、運動機能の回復にも時間がかかるのだし、
高齢の母にかわって、私と姉で乳がんについてもっと勉強し
色々なメリット、デメリットを理解した上で
よく考えて手術法を選択すべきだったと反省しています。

私は自分自身が乳がんにかかるまで、そういう反省すべき点に気づきもせず暮らしてきました・・。
おかーさん、あなたに似ちゃって、ヌケてる娘でゴメンナサイ。← こいつホンマに反省しとんのかいっ!






    
 乳がん航海日誌・本編はじまり〜 


1,998年 12 月16日(水) 乳がんとの出会い。

始まりは、この日の夜。
お風呂あがりに裸で鏡の前に立って、髪を高い位置で結ぼうとしていた時のこと。
ふと気づくと、右胸のわきの下寄りに小さいふくらみがあるのが鏡に映っている。
あれっ? 何か虫にでもさされたのかな??と思い触ってみると、ゴリンとした感触。
「何で今までこれを見逃していたんだろう!?」と、その一種独特の存在感にドキン!とする。
母が乳がんをり患していたので、定期的な自己検診とまではいかなくても、
私は以前よりは自分の胸に注意をはらっているつもりだった。
なのにこのしこりに気づかずにいたというのは、大きくなるのが早かったということ・・?
思わず、少し言葉を選びながら、夫にそのことを話すと「明日、絶対すぐに医者に診てもらえ!」と言う。
でも、その次の日は、東京から招いた講師によるバドの練習会の日であり、
この練習会の言い出しっぺは私だったので、それを欠席することは避けたかった。
なので、「あさって以降の都合のいい日に医者に行く。」と言いはったのだが、
珍しく夫が意見をゆずらず、私自身も少し嫌な予感があったので、
結局次の日に病院で診てもらい、その練習会には遅刻して参加することに決めた。

 月に1回、日を決めておいて定期的な自己検診を行う。
これはホントに実行した方がいいです〜。
お風呂に入った時なども、こまめに自分の乳房をチェックしましょう。





1,998年 12月17日(木) 元気ハツラツじゃないとかかれない大病院・・・。


朝から病院に行くと、想像どおりの大混雑。
初めて訪れたこの病院では、まずどこへ行ってどんな手続きをし、どこで待てばいいのかを把握するまで
後から来た人にどつかれたりしながら、ウロウロ戸惑いっぱなし。
なんとか初診の書類手続きを済ませ、自分のカルテを受け取るために呼び出されるのを待つ段になっても、
立て板に水といった勢いで次々と放送される大勢の人名の中から、
自分の名を聞きのがさないようにするには、聴覚はモチロン、結構な注意力が必要。
呼び出されても気づかず、すぐに応じられなかった場合には、
ナースから怒られるだけでなく簡単に後回しにされてしまうので、自分の名を耳にしたと同時に、
混雑をかいくぐって窓口まで速攻で駆けつけられるだけの体力とスピードが必要なのだ。
つまり、現在の大病院というのは、耳も足も達者な、元気ハツラツな人しかかかれない所だったのである。
とてもじゃないけど、具合が悪くて仕方ない人や耳の悪い人、足腰の弱ったお年寄りでは、
あのスピーディで人間味皆無のシステムには順応できないだろう。
元気じゃないと病院にかかれないなんて、とんでもない不条理〜。本末転倒とはまさにこの事〜。

そして2時間近くさんざんウロウロハラハラさせられた挙げ句、
この日は乳線専門の先生がいらっしゃらないというこで、私は後日仕切り直し・・。
結構、色んな想像をめぐらしながら、自分にカツを入れて出かけていったのに、
あっけなくふりだしに戻ってしまった。

 胸にしこりができて病院にかかる場合は
その病院に乳腺外来があるかどうか、乳腺専門医の診察は毎日あるかどうか、
電話等であらかじめ調べてから訪れた方がいいです〜。





1,998年 12月20日(日) 予感と、当面の方針。


この日はバドミントンのサイトで出会った仲間たちとのオフ会があったので、
千葉からはるばる茨城まで、重いラケットバッグを担いで出かけていった。
行きの電車に揺られながら「私は今、こんなことをしていていいのかなぁ。」と、ぼんやり思う。
現実感はないのだけれど不安というか、疑惑というか、予感のようなものは、
しこりを見つけて以来、常に頭から離れなくなっていた。
茨城までの電車の道のりは遠く、その間ずっと色々考え続け、最終的に
「 医師の診断を受け、結果がわかるまでの間は、
病気かもしれないからといって、それまでの予定を変更したりせず
全くこれまでどおりに暮らしちゃおう!
診断の結果、がんであるとわかったら、その時から180度方向転換して、
全力を尽くしてがんと闘おう!」という方針を心に決めた。
そしてとっても楽しかったバドのオフ会の最後、
遊びの賞なのだけれど、その日のMVPをゲット♪
幹事が用意しておいてくれた賞状のウィットのきいた文面の最後に、
「 次回も華麗なプレイを披露してくれることを条件に、この賞を授与します。」
とあったので、ふと「あれ? じゃ、これ、もらっちゃダメかもしんない。」とも思ったが、
当面の方針を通し、おせんべい一缶と一緒にありがたく頂戴し、ニコニコ帰ってきた。

 この時決めた当面の方針は、アリとキリギリスのキリギリス的発想に近いものがあり(笑)
すでにあるかもしれない災難に備えるのをいっさい止めた私は、
あとで猛スピードで仕事を片付けなければならなくなり、エライ目にあいましたが
それでも、この方針に関してはとても正しかったと、今も思っています。
私の場合、残念ながら結局は”クロ”でしたが、
まだ、がんであるかないかわからないもののために、毎日を鬱々と過ごし、
楽しい予定も棒にふっちゃうなんて、勿体ないですもんね♪
ちなみにあの時の賞状は、バド復帰できた私にとって、とてもいい記念になっています。





1,998年 12月21日(月) 初診。


初めて乳腺専門医の診察を受ける。
問診と触診と、妊娠した時にお腹の中の様子を見るエコーによる診断。
ひょっとして、今日すぐにでも悪い結果を知らされるかも、と一応構えていたのだが、
「多分、悪いものじゃなく、乳腺線維腺腫というものだと思いますが、
一応木曜日にもう一度来てもらって、これよりもっと性能のいいエコーで診てみましょう。」
と言われ、「お、これは大丈夫かも♪」と、単純に少し明るい気分になる。
ただ、診察室と中待ち合いの間にカーテン1枚しかなく
中待ち合いにいる男の人たちにも、診察室の会話がつつぬけなことに驚き、
いくら何でも、余りにプライバシーがないのではと不満だった。
午後からは、バドクラブの忘年会。(主婦のクラブなのでお昼のお座敷き♪)
いつもの仲間といつものお下劣ネタで大バカ騒ぎ。(笑)
新年をむかえても、またバカ騒ぎしてられますように、と願う。

 初診でいきなり乳がんの告知を受けることは、まれだと思います。
しこりの状態や医師の経験によって、問診と触診で予測できることも少なくないようで
初診で告知されてしまったという人も、中にはいますが・・。





1,998年 12月22日(水) 救急外来


昨日に引き続き、今日は夕方から忘年会があり、暴飲暴食しまくったツケが回ってきたのか、
それとも、しこりへの不安が。自覚していた以上にストレスになっていたのか、
深夜、胃袋をギューギューつかまれた上にひねられてるような猛烈な激痛に襲われ、
昨日、乳腺外来でかかったばかりの病院の救急外来にかかる。
点滴をうってもらって、猛烈な痛みからは解放されるが
      ヨレヨレ・・・・。

 救急外来は保険が効かないので、診察のお値段が高いですぅ〜〜。





1,998年 12月24日(木) エコー検査


初診の時よりさらに高性能の機械でエコー検査を受ける。
これには、初診の時や妊娠した時のエコーよりずっと長い時間がかかった。
モニターには、体の内部が超音波によって白黒で写し出され、
検査技士が時々、「ん?」って感じで、画面をストップしてジーッと見つめたり
胸のしこりの部分の大きさを計り、プリンアウトしたりしている。
胸から腹部まで、あちこち丹念に調べ、ようやく終わったのかと思ったら、
また違う人が出てきて、初めから同じことをやり直したのでビックリ。
そして、「もしかして、私の知らないところに
他のしこりがあったらどうしよう・・」などと、
この検査を受けている間は、悲観的なことばかり考えてしまった。

 このエコーの検査は、今も6ケ月ごとに受けていますが
いつも途中で技師さんが交代し、二人がかりで行われます。
それは、インターンの人の練習をかねているのか
検査での見落としを防ぐためなのか今だに知らないので、
今度の検査の時に聞いてきて、ここに書きますね。





1,998年年末〜1,999年年始  困った時の神頼み


年末、年始だからといって、毎年さほどお祭り気分になることもない我が家だが、
この年は珍しく、年末は新宿の超高級ホテルに泊まって遊んだり(夫が会社の忘年会で宿泊券を当ててきた!)
年始は家族揃って初詣でに出かけたりして、なかなかお正月らしく過ごした。
初詣でに行こうと言い出したのは、日頃は一番無信心な私。
私は無宗教なのだが、まさに”困った時の神頼み”で
「このしこりが、がんではありませんように。
万一がんであるのなら、負けずにやっつけられますように。」
とお願いして、おさい銭もチョットふんぱつしたりして。(笑)





1,999年 1月5日(火) 穿刺吸引細胞診
(せんしきゅういんさいぼうしん) 

年末に受けたエコーの検査結果を聞きにいくと、
「もうちょっと詳しい検査をしてみましょう。これは痛い検査なんですけど、
しこりに直接針を刺して、中の細胞を抜きとらせてもらいます。」
といわれる。「げ!!痛いの、やだな〜、」という思いと
「やっぱり、ヤバイんかな〜」という思い・・。
ゴリンとしたしこりに直接針を刺されるのは、とてもイヤな感じだったが、
思いっきり覚悟して構えてたせいか、先生が予告していたほどには痛くない。
(ただ、針を刺されたところは、2〜3日あとまでズキズキした。)
「この検査結果をご報告するのは、また一週間後の今日になります。」
とのことで、「あーー、また一週間、手も足も出ず、宙ぶらりんみたいな日が続くのか〜〜」
と、気持ちが重い。もしかしたら今日は、「先日の検査結果、悪いものはないことがわかりました。」
と言ってもらえるかも、って思ってたのになぁ。

 この検査は、局所麻酔をするとしこりの位置がわからなくなってしまうので
無麻酔で行われるそうです。しこりが小さい場合、その細胞を正確に採取するには
かなりの熟練を要し、また採れた細胞ががんかどうかを診断するのも、結構難しいようです。
乳がんの細胞は、細胞診での診断が難しいがんだとのこと。





1,999年 1月12日(火) 告知 


「先日の細胞診の結果、実は残念なことに、悪いものが見つかったんです。乳がんです。」
ほっっんとに、我ながらガッカリするほどありきたりだけど、そう告知された瞬間には
「ガーーン!!!」と後ろから殴られたようなショック。
この日にシロクロはっきりするだろうということはわかっていて
「何を聞かされても、私は冷静でいられる。」と自信マンマンだったのだが
一発殴られて、少し気を失ってるみたいな、フワフワ雲の上にいるような感覚。
現実感がないので、悲しみすら感じない。自分がどういうことになっているのか、よくわかっていないので
「仕事、すんごく重なってるのにヤバーー・・」なんてことを、まっ先に考えたりしている。
「これは現実なんだ。私はがんだったんだ。 
先生の話をちゃんと聞きのがさないよう、しっかりしなくちゃ!」
と、自分に言い聞かせ、少しは現実感を取り戻す。
そして告知の余韻に酔う暇もなく、ものすごくあわただしく入院までのスケジュールを知らされ、
この日のうちに、すぐに色々な検査が始まり、各検査室へとあっちこっち回される。
血液検査、尿検査、心電図検査、呼吸機能検査、乳房X線検査(マンモグラフィー)。
最後に入院の予約をして、今日のノルマを全てこなした頃にはくたくたになっていた。
病院からの帰り道、自分で車を運転しながら、「もしかしたら、私の一生は思いのほか短いかもしれない。
だとしたら、子供はどうなるだろう・・。今、あの子を残して死ぬのは絶対イヤだ!
私、死んでる場合じゃないぞ!! 絶対、がんをやっつけるぞ!!」と心底思う。
家族のこと、自分の夢のこと、ここ数年がんばってきたバドミントンのこと、
色んなことが頭をめぐる。「でも今は、他の全てを捨てても
とにかく生きるために全力を尽くしてやるぅぅ!!」と、自分自身に決意表明!
自分は逆境に強いぞ、と思いつつ、運転するには目にワイパーが欲しかった。

 告知を受けたあと、私は診察室の奥の雑然とした部屋に呼ばれました。
そこで看護婦さんから「今、一番ご心配なことはなんですか?」と聞かれ
思わず「締切り」と答えてしまった私・・。(あぁ・・、一生の不覚・・)
看護婦さんはその他にも優しく幾つかの質問をし、私の方からも何か聞きたいことはないかと
言ってくれましたが、この時の私は全くわけがわからない状態で
正直、何を質問すべきかすらわかりませんでした。
今思えば、あの若い看護婦さんとの約5分くらいの立ち話が
病院が私に実施してくれた”メンタルケア”であったのですが
それよりも、その5分を使って、「がん告知は、死の告知なんかじゃないんですよ。
乳がんは他のがんに比べて大人しいがんで治療しやすいから、大丈夫ですよ。」
とかいう話でも、聞かせて欲しかったと思います。
とにかく、乳がんについての知識が全く無かったことが、私を余計に混乱させていました。

また、告知の際には、事前に「誰かご家族の方と一緒にいらしてください。」と
患者に言っておく病院が多いようですが、私の場合は、そういう指示は受けていませんでした。
うちの場合、もし夫が一緒にいったとしたら、私以上にショックを受けてしまうタイプなので
私一人で告知を受けて、ワンクッション置いた状態で知らせることができてヨカッタと思っています。
でもやはり、デリケートな人にとっては心理的なダメージは非常に大きく
たとえば、自分で車を運転して帰れない、などという具体的な問題も生じると思うので、
告知をする際には、もっと色々な配慮をして欲しいと願っています。
それについてつらね始めるとも〜っと長くなっちゃうので、それはまた別のところで・・。(笑)





1,999年 1月13日(水) 悪夢ではない現実  


朝、目が覚めた途端、「あ・・、やっぱり私はがんだった。夢じゃないんだ・・。」
とがっかりする。でも、ゆっくり落ち込んでいる時間はナイ。
子供のこと、留守宅のこと、入院までに片付けなければならないこと、やっておきたいことはてんこ盛り。
私は、はっきりと告知されるまで、”自分はがんじゃない”という予定でノンキに行動していたので
この先のスケジュールがいきなり超過密状態になってしまった。
入院期間中の遊びやバドの試合の約束は、もちろんみんなキャンセル。抱えていた三つの仕事は
とんでもない猛スピードでやっつけなくてはならなくなってしまった。
ただし、どんなに忙しくても、バドはやる!(笑)

私のしこりは、利き腕側の胸にできたものだし、
この先は、バドミントンができるような状況じゃないかもしれない。
だから、手術するまでの間、悔いが残らないようにバドしまくってやろうと思う。
「命にかかわる病気なのに、何をのんきなことを」と思われるかもしれない。
でも、私にとっては、たかがバドじゃなく、されどバド。
ここ2〜3年、頭の中にはいつも「バド」の2文字があったのに、
それが昨日から突然、「がん」の2文字にすりかえられてしまったのが悔しい。
入院することを知られると、心おきなくバドを楽しめなくなってしまうから
病気のことは、入院直前まで親しい友人たちにも一切秘密。
めちゃめちゃハードスケジュールの日々が続くことはわかっているから
病気なのにそんなに忙しくして・・と、心配をかけないよう、
一緒に暮らしている両親や息子にも、ギリギリまで秘密。
ただ、仕事先には電話をしまくってある程度事情を話し、全面的に協力してもらう。
しかし、さすがにこの日は気持ちが重くて、仕事など全く手につかない。
私の気持ちを何より重く不安にしている大きな疑問。それは、
この病院でいいのだろうか・・。
この先生のこの治療が最善なのだろうか・・・。
ということだった。

 朝、目がさめると「やっぱり悪夢じゃなくて現実だ・・」とがっかりする。
学習能力に問題がある私は(笑)、10日間くらい、毎朝それを繰り返していました。
また、初期の乳がんの場合、自覚症状や具合の悪さはほとんどありません。
(ただし、私はこの頃から約半年以上という長い間、微熱が続きました。
内科でも調べてもらいましたが、原因がわからないうちに熱はひきました。)
手術前にハードなスポーツをすることも、全く問題ないようです。
(進行がんの場合は同じではないでしょうが。)





1,999年 1月14日(木) 隠し事 


今日はラディッシュの練習日。私のシステム手帳には、入院までにバドできる回数が書き込まれていて
今日の日付けのところに書いてある数字は3。
ラディッシュでバドできるのは、ひょっとしたらあと3回なのかな・・と思う。

練習前にバドクラブの役員会があったので、副部長をしている私も出席。
この役員会は、4月にクラブで参加する大会についての話し合いで
私はその大会に、多分出られないことがわかっているのだが、
参加できないと言い出すためのうまい嘘が思い浮かばず、
自分もモチロン出場するかのようにして、話し合いに加わる。
しらばっくれて、出場ランクやペアの話をするのは、さすがに切ない。
いつもどおりの仲間、いつもどおりのバカ話、いつもどおりの大笑い。
でも、その中で、私だけが違う存在になってしまったかのよう。
告知された瞬間に津波に飲まれ、今までいた世界から一挙に暗く深い海の底に引きずり込まれ
私一人が、がんというカプセルに閉じ込められて漂っているような気持ちだった。

ただ、ふと気づくと隣で別のカプセルに入って、同じ海底を暗〜くぷかぷか浮いている人がいる。
常に一緒に暗い海にいてくれる夫に、とても支えられていた。

 がんという言葉のつく病名を、人に知られたくないという患者さんは一杯います。
ごくごく親しい人にしか言わない、という方が大半かもしれません。
(それを聞かされた相手の過剰反応が怖い、という気持ちは、私にも今だに少しあります。)
私は、入院までの間、心おきなくすべて忘れてバドミントンするために
夫と仕事仲間以外の人には、一切病気のことを秘密にしていましたが
それゆえの不都合は多々ありました。
バドのことさえなければ、私は周囲の色んな人に病名をしっかり話して
この時とばかり甘え、どんどん協力してもらっちゃったと思います。
でも、乳がんと言う病名を語れない気持ちもわかる・・。
しかし、隠すのはまた切ない・・。
わざわざ言ってまわる必要もないけれど、あえて隠すということは、私にとっては心の重荷でした。





〜 つづ、かなかった・・( ̄▽ ̄;) 〜




 *** 言い訳(爆) ***


当初は、テレずに書ける時期がきたらこの続きをupするつもりだったのですが(日記自体はリアルタイムで書いていたものが残っているので)、テレもなんも通り越しちゃうほど時間がたち過ぎてしまったので、この続きをupする必要を感じなくなってしまいました。(^^;
それに体験談としては、2002年2月に出版された「乳がんといわれたら」という本の中に、乳がん手術体験者10人の手記の一つとして掲載された「バドバカがん患者のネバーエンディングストーリー」をupしてありますので、この続きを知りたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、そちらをご笑覧いただければ幸いです! スポーツ復帰へのこだわりと、バドミントンへの愛をこめて、かなり入れ込んで書いたものです。
(#^.^#)

「バドバカがん患者のネバーエンディングストーリー」