Asile.1  言の葉の山           
                  

               

    ここは、HPの制作&更新の記録や日々の出来事などを好き放題書きまくってる
日記のページです。テーマがフリーとなると、いよいよ言葉の山になっちゃう。(笑)
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2004年 
2月 3日(火)  

この「言の葉の山」を更新するのは、ナント5ケ月ぶり〜・・。
HPを開設した当初は、「言の葉の山」
1枚目に残っているように、HP制作記録的に書き始めたものであったし、何気ないことを自由気ままに書きしるしていたのですが、有り難いことに、このHPがいつのまにか周囲の多くの人たちの目にふれるようになると、何か書こうと思いついても、あれこれ考えているうちに、やっぱ今書くのはヤバイからやめとこーー、と思うようなことも多くなってしまいました。
でも、うちのようなHPというのは何か完成された作品のような形を目指しているのではなく、永遠のプロセスであり、永遠の同時進行ドキュメントなのであるから、これからは又、開設当初のような気ままさで、書きたいことを書きたいままにタラタラと書いてみちゃお〜〜。
と考えてみると、どうもこの日記形式が今の私には邪魔になるようなので、これからは日記という枠を取り払い、単なる雑文のページという形に変えてみようと思います
その方が「言の葉の山」というコンセプトには合うし、都合良さそうだし。(笑)

ここ数日、風邪をひどくこじらせて寝込んでいたため、大好きなバドミントンに手も足も出せない状況でした。でもなんとかパソコンデスクに座っていられるまでには回復したので、HPの更新から手を出してみたいと思います。
というわけで、日記形式の「言の葉の山」3枚目は、ここまでで終わり! 4枚目は、リニューアルしてアップ致します♪
といっても、そんなには変わらないだろうけど・・。(笑)






2003年 
9月 17日(水)  

今さらながらではありますが、私は自他ともに認めるバドミントンバカ。
この「バドミントンバカ」という言葉を、多少の自虐と後ろめたさ混じりで、でもなおかつ、反骨精神みたいなものを含めながら、プライドと愛情を込めて使っています。
とかなんとか言うとカッコつけ過ぎだし大袈裟で気色悪いので、もっと正直に書けば単なる開き直りもあるのですが、「バカ」になれるほど夢中になれる大好きな何かを持てたこと。これは、本当に素敵なことだと思います。

バカが付くほど好きなものがある人は、何かとその好きなもののためにばっか心をとらわれ、時間も費やしちゃいます。(仕事しなきゃイケナイのにバドの練習にいっちゃうとか(笑))
それは時に、周囲(家族や仕事仲間・・)にはなはだしく迷惑だったり・・(-_-;)、思いっきし自分の首をしめたりもしてくれます。
ですが、人でも物事でも、ものすごく好きな対象が何かあると、その人の心は、好きなものへの愛情にほぼ占拠されているので、たとえ何かに対する嫌悪や憎しみ等の感情が入ってきたとしても、それらはどうしたって、そう多くのスペースを占め続けることはできません。
実際には、人の心がそんな物理的で単純な仕組みであるはずはないとはいえ、ノーテンキな私自身の心は、現実的にそういう単純な傾向にあります。何かいやな出来事があっても、自分にとって大切な好きなことをするのに忙しいので、そのいやなことをいつまでも気に病んでいる時間さえ足りなかったりします。(笑)

しかし、せっかく生きてるこの人生、好きな人に対してであってもいいし、好きな物事に対してであってもいい。心は、嫌悪や憎しみにとらわれてるより愛情で満たされてる方がいいに決まってるし、時間は、誰かを憎んだり妬んだりしてるより、好きな対象に愛情を注ぐために一杯使えた方がいい。
う〜ん、私のバドバカまるだしのしょーもない生活も、なかなか悪くはないじゃないかという、ちょっと説得力ある言い訳が一個完成しつつある。(笑)

最近、色〜んな人と接する機会が多くなり、良い意味でも悪い意味でも人生いろいろ〜♪ってことを、改めて勉強させていただきーーたくなくてもいただけちゃうーーことが増え、締切り過ぎてるのにこんな事を書きにきた私は、実はこー見えて(めっちゃ亀更新)、書くことも好きなのです。 

仕事関係では説得力ないかもしんないけど・・。(^^;





2003年 
7月 22日(火)  

夏休みに入ったいうのにやけに涼しくて、長袖を着ている今日。
ちょっと思うところあって、だいぶ前にフリー掲示板書いた文章をひっぱり出してきて、ここにとっておくことにした。

*** 2003/02/08(Sat) フリー掲示板のえつこさんのカキコに付けさせていただいたレス ***

えつこさん、初めまして。^^
お母さんはきっと、がんになったことによって、いきなり断崖絶壁からまっ暗闇の世界に落ちて、これまでの一生とは切り離された、人生の負け組に入ってしまったかのような辛く苦しいところにいらっしゃるんだと思います・・。
私も一時はそうでした。周りの仲間はそれまでどおり、未来もある陽のあたる世界に生きているのに、自分だけががんという津波にさらわれて、暗く深い海の底につれさられしまったのように、とてもとても孤独でした。
がんに飲み込まれ、閉じ込められたように感じてしまい、周りが見えなくなってしまっていたんです。
私の場合、そんなふうであった原因は、がんという病気のことがまるでわからなかったことが、まず第一の原因でした。自分の身体を侵すものの正体がわからない=見えないのはすごく怖いことです。
「がん」という二文字を目にすることすら辛い時期もあり、冗談みたいだけど、その頃は「ガンバ大阪」とか「がんもどき」なんて言葉を聞くのまでイヤでした。(^^;
でも、少しずつがんについて知ることで、がんとのつき合い方みたいなものも、少しずつわかってくる・・。お母さんふうに言えば「癌と言うモノを自分の中で消化でき始めた」んです。
そして、この時何より大切だったのは、同病の先輩患者たちとの出逢いでした。
自分だけが、暗く先のない世界に閉じ込められてしまったかのように感じ孤独だった私にとって、がんなんていう重い病名の話題を遠慮することなく語り合え、自然に気持ちをわかりあえる人たちとの、何気ないおしゃべりや情報交換は、暗い世界に大きな扉が開けて自由に外に出ていけるようになった、とでもいうような解放感!
とりたてて強い人間だったりするわけじゃない自分と同じごくごく普通の女性たちが、がんという病気を得ても、ごくごく普通に生きていることや、彼女たちがくれる等身大の生活情報は、ものすごく大きな励みとなりました。
そうこうするうちに、私は「がんに飲み込まれ、閉じ込められてしまった」暗い世界から脱出でき、がんになったことは、私という人間や私の人生の一部分でしかないんだ、と思えるようになったんです。
思えるようになった、というより、そういう事実にようやく気づけたんです。
そして初めて、癒された。がんは基本的に完治はできなくても、抑えることは一杯できるし、癒されるチャンスはなお一杯あります。
お母さんが心の癒しを得るためには、まずは同病の方たちと語りあえる場を持つのがてっとり早く効果的かもしれませんネ。
インターネット上だと、家にいながら色んな交流の場が持てるのですが、ご本人がインターネットされないのなら、患者会等に入ってみるのもとてもいい事だと思います。
病院の患者会があればそこでもいいですし、私のHP上でも、色んな患者会のHPをリンクしてあるので、えつこさん、一度ご覧になってみてくださいませ。^^
お母さんをひっぱりだして、どこかの会のおしゃべりの席にでも、一度一緒に参加できたりするとイイですね。
そして、
前代未聞の長文レスになってしまいそうですが、もう少し・・

>何を言っても「本人にしかわからない」と言われてしまい助けてあげられなくて私も苦しいです。

心配してる大好きな人に、どうしてあげれば良いのかわからないという、このえつこさんの辛さも、ホント苦しいですよね。。
乳がん患者同士だと、互いの気持ちがわかりやすく大きな励みを得られる、と上で書いたことも実際事実ですが、その一方では、同じがん患者同士だって、再発してない私は、再発してる友人の苦しみをわかってあげられずに、苦しい、切ないことが多々あります・・。えつこさんと同じ気持ちですよね・・。
再発してる同士だって、まだまだ打つ手がたくさんあって元気もある人には、終末期を迎えた人の気持ちがわかる、とは言えない・・。
病気のことに限らず、恋人がいる人には、失恋した友人の気持ちはわからないし、安泰に勤めてる人には、リストラされた人の辛さはわからない。
人はみな、色んな辛さを抱えながら生きていて、全く同じ状況に生きてる人間なんてどこにもいないから、言い出せば、どこまでいってもキリがない。
でも、自分はその人の気持ちをよくはわかってはあげられないことを自覚して、その切なさを抱えながら、その人を思いやり寄り添うことができれば、その思いはいつかきっと相手にとってあたたかなものになるだろうし、わかちあえる何かがつかめるかもしれない、と思うのです。
違う大きな傷みを抱えている人と自分の間には、大きな大きな川がある。それを埋めることは決してできない。
誰とでも、努力さえすればわかりあえる、なんてとても言えない。それでも、相手を強く思う気持ちがあるなら、そこに、心を通わせるための細い橋くらいは架けられると思うんです。
それに、元気回復!とまではいかずとも、えつこさんがこんなふうにお母さんを思っている気持ちは、すでに今、お母さんにとって心の慰め、支えとなっていることでしょう。
「本人にしかわからない」とかおっしゃっていたとしても、大切な自分の子供に心配してもらえて、うれしくない母親はいませんから。^^
お母さんの辛さも、えつこさんの辛さも、私にとってひと事とは思えません。
お母さんが、この苦しい時期を乗り越えてくださるよう、心から願ってます。
放射線はほぼ毎日通う治療ですからちょっと大変ですが、約1ケ月の治療が終わったら、「よく頑張りました」ってお祝いしてあげてくださいネ。^^




2003年 
6月 25日(水)  

先日、ソフトテニスをやっている息子と一緒に、ラケットとテニスシューズを買いにいった帰り道、ふと気がむいて、その近所に住む知り合いに電話をかけ、3人でファミレスでお昼ごはんを食べたのですが、私の知り合いと会う時の息子の態度の変化に驚かされました。
幼い頃は、優しく遊んでくれる大人なら誰でも比較的すぐになつくタイプの息子が、大きくなるにつれ、私の知り合いと会う事や話すことがニガテになっていたのに、私の知らぬ間にそういう時代もまた通り過ぎていたのか、自分なりの受け答えをして、大人の会話に参加できるようになりつつあるんですよね。
私がくだらないジョークを飛ばすと、
「も〜、うちの母親っていつもこんなで、ほんとスミマセン。」と言ってみたり、
帰り際には
「今日は母親のワガママにつきあってくださって、有難うございました。」
などとのたまったりするのです。

息子は今、中学2年生。だいぶ前に私より背が高くなり、現在の身長は172センチ。足のサイズは27。
すでにそれだけでかくなっているし、さらにでかくなる気配濃厚であるにもかかわらず、私の中の息子のイメージは、彼の現実的な成長に全く落ち着いていないのが現状で、たとえば、使わせているコップはケロケロケロッピ。お茶腕には可愛いフクロウの絵がついていて、自宅で使うタオルや文房具は今だにポケモンだらけ・・。
たまにふざけて、○○○君、ダッコさせて〜♪ などと言っては、ぶっとばされそうになっています。(^^;)
息子がたくましくなっていくのはもちろんとてもウレシイし、そうあってくれなければ困るのですが、ケロッピのコップを片付けられない、ダメ母ならではの屈折した心理・・(笑)

最近は、生後約1年のネコのチョビまで、ダッコを嫌がるようになっちゃったのが腹たつなー。(笑)




2003年 
5月 12 日(月)  


なんだか堅苦しい内容ばかりが続いてしまうのは、根がノーテンキなアホキャラであるうぃんままとしてははなはだ不本意なんだけど、書きたくなってしまったから書いておこ〜。
私は昔から、派閥意識みたいなものとかがニガテです。ニガテ、というより、自分の信条に反するところがあります。そこらへんに対するこだわりは、ほとんど石頭の頑固じじいみたいなノリですね〜。
水面下で味方を固めて、一人じゃないことを確認し、誰かと一緒でなければ主張できないような主張ならいっそ口にしたくないという気持ちがあります。
なので、本当は違う感じ方や考え方を持っているのだけれど、あの人は私の仲間だから、あの人の意見には異議を唱えず味方する、みたいなことも石頭の私にはできません。
人が連帯しながら何かと闘い(でも、戦争は反対どえ〜す)何か大きなものをより良い方向に動かしたり変えていくことってすごく素晴らしい事だと思うんですが、それは「これをこう変えていきたい」というそれぞれの意思がまずあり、同じ方向を目指して自分の足で進もうとしてる同志が連帯することが大切なのであって、誰かがくり出した船にただ乗っかって運ばれていくのでは、全然違いますよね・・。
一人ひとりが、自分の目で見つめて、感じて、自分自身で判断し動くことが肝心だし、そじゃなければ危険だと思います。

最近、私の知らないところで、私の名前が勝手に使われていて残念に思った事があったのでこんな事を書いているのですが・・、私は自分自身で見たり聞いたり感じたりして確認し、判断できてないような事に関しては、反対も賛成もできないし、しないし、味方にも敵にもなれないし、なりません。

う〜〜ん、なんだか難しい奴って感じになっちゃったな〜〜。
でも、別に怖い奴じゃないから、誤解しないでね。(^^;
怖いどころか・・、ボケとツッコミがいたら、100%ボケ役の方の人間なんだけど〜〜。




2003年 
5月 7 日(水)  

この下の日記を書いた1月28日、大好きだった友人・そのちんが乳がんで亡くなりました。
亡くなりました、と書くことは、やはりキツイことです。
読んでくださっている方々にとっても、重たく、避けて通りたい話題と感じることがあっても無理はないと思います。

ただ、私はここ数カ月、ずっと思ってきました。
”死別の悲しみ”ってやつには、どうも市民権が無さ過ぎるんじゃないのか?と。
このどうしようもない思いは、確かに、どうあがいても救われず、解決する術もなく、奇跡へのわずかな望みも無い。
でもだからといって、この悲しみは、そんなに閉じ込めなきゃいけないもの?
一日も早く、遠ざけなければいけないもの?

実際一時期、辛くていたたまれなくて、どうにか救われたい、楽になれる過ごし方を見つけたい、という気持ちにもなりました。
そんな時、「いつまでも悲しんでいると、亡くなった人が浮かばれない。」という言葉を耳にすることがしばしば・・・。
それはまぎれもなく私を励まそうとしている言葉であり、思いやりは感じつつ、でも実は、受け入れることができずにいました。

考え方を前向きにシフトして、泣くのをやめて笑顔で歩き出す。
その方が良いに決まっている。
しかしそれでも、悲しみは消えたりしない。
いや、その前に、愛する人が亡くなって、寂しくて当然の悲しみを、どうしてそんなにおいやらねばいけないのか。
私は、自分の一部が壊れて元に戻れないような寂しさや、次から次へと襲ってくる様々な後悔にさいなまれ、悲しくても悲しくても悲しくても、そのちんのことばかりをさんざん考えていたかったし、また時に、いっそ忘れてしまいたい思いにかられることがあっても、やはり彼女を想わずにはいられませんでした。

生があれば、その向こうに必ずある死。
出会いの喜びがあれば、その向こうに必ずある別れの悲しみ。
生は死とともにある。喜びは悲しみとともにある。
そういうことを、言葉で出来上がった理屈としてではなく、いやおうなく肌身で実感させられていました。

一時は、当分グレて暗い人生送ったろか!な〜んて思ったりもしましたけど、
落ち込みはしても、グレてる場合じゃない!ってくらい、生と死の意味を考えさせられました。
そして、縁起の悪い意味ではなく、「死」は自分自身にとって、生きている全ての命にとって、身近で大切な最後の扉なのだと思えました。。
人は、死を毛嫌いしてちゃいけないなぁ。死という事への考え方、認識を変えていかなくちゃいけないんじゃないのかな。
「死」から目をそらしてばかりいるのをやめて、しばしみつめてみると、「生」の方ももっとリアルに見えてくる。
「メメント・モリ(死を忘れることなかれ)」こそ、本当のキャンサーギフトの箱を開く、呪文だったのかもしれません。

今日はそのちんの百か日。
私は彼女が大好きだったので、彼女と出会えて本当にうれしい。
大好きだった分だけ、彼女を失ってとてつもなく悲しい。
それくらい別れが辛い彼女と会えて最高にうれしい。
この喜びと悲しみの追いかけっこはどこまでいってもキリがないのだけれど、でも、彼女への想いはこれからも必ず、出会えてうれしい、の方で結んでいきたい。



そのちんが、愛情こめてつくり、残していったHPです。




2003年 
1 月 28 日(火)  

がんを体験した人達はよく、手術した日を「もう一つの誕生日」と呼びます。
私が手術をしたのは1999年の1月29日なので、それ流に言うと明日は私にとって4回目のもう一つの誕生日です。
「キャンサーギフト」=がんからの贈り物。
1年目のもう一つの誕生日の頃はまだ、この言葉が大嫌いでした。がんやキャンサーという文字は、私にとって忌わしさの象徴でした。
2年目、3年目になると、がんになったからこそ感じられたこと、教わったこと、出会えた人も増えて、「キャンサーギフトは私の中にも確かにある。」と実感できるようになりましたが、それでもやはり好きにはなれない言葉でした。
そして再発することなくここまでこれて、なんとなく平和ボケしていた私でしたが、4年目を迎えるここのところ思うのは、私がこの言葉を好きになれなかったのは、この言葉の中のとてもシンプルな核心の意味を、理屈ではわかっているつもりでも本当はわかっていなかったからだということ。
「メメント・モリ」それこそが、キャンサーギフトなのですよね。
書くことって、私にはやっぱり大切なことだから、今日書いておきたいお礼。

>大好きな、そのちん!!
優しさも明るさも喜びも悲しみも、本当にいっぱい有難う。




2003年 
1 月 18 日(土)  

一度寝たのに急に目が覚めてしまい、ただ今、午前2時30分。
下の日記では、なんだかおこがましい事を書いている。
しかも、結局何が言いたいのかサッパリわからないような、思わせぶりな日記は書きたくないと思ってきたのに、新年第一発目がこれでは情けないなぁ。
削除したいけど、一度アップしたものを削除するのも情けない気がするなぁ・・。(笑)





2003年 
1 月 6 日(月)  

2003年、初の言の葉の山です。
今年は、色んな想いを抱えながらの、足取り軽やかとはいえない年明けでした。
でもそれだけに、その重みの大切さと時間の早さをちゃんと感じながら、考えながら、毎日を過ごしたいとしみじみ実感しています。
実感させられている、といった方が正しいような状況の今だけど、それをなんとか逆転できないか、、。
納得できるよう、イニシアチブを握れないか・・。それは、無理なことなんだろうか・・。
後悔しないように生きていくって、本当に難しいです。
何をどう大切にしていったらいいのか。何ができるのか。
早過ぎる時間の流れの中で戸惑いつつ、何もできないこともわかりつつ、でも、納得できないし、しない。あきらめない。
思わずにらんだ睦月の青空。



12 月 8 日(日)  

珍しく仕事の話なんか書いちゃいますが、先日、ある仕事をとるために、ニガテな企画書制作をやってました。
この頃、ちょうど仕事が重なってめちゃ忙しく、我ながら信じられないことに、2時間しか睡眠をとれないまま、バドミントンの試合会場にノートパソコン持参で出かけ、試合の合間に観客席で仕事をするという、悲惨きわまりない!&試合に出る資格ナシ!!って状況にまで追い込まれてしまいました。
その結果、試合の方は忙しくなくても勝ち抜くことはできなかったようですが〜(;^^)、でも仕事の方は、3社競合コンペに勝ち残りゲットすることができました♪

入ってきた仕事がコンペってことはちょこちょこあり、大きな声じゃ言えませんが・・、ここんとこかなり勝率低かったもんでして〜〜、この仕事を取れたのはなかなかウレシイ出来事でした。(^^)
しかも、これも大きな声じゃ言えませんが・・、私が提出したフルカラーの図や写真入りの企画書は、このHPを創っているHP制作ソフトでつくったもの。(笑)
企画書制作用の代表的なソフトとかも持ってるんですけど、開いてみたことすらなかったりして・・。(^^;
このHPづくりのように、自分の好きでやりたくて始めたことなら多少はパソコン関係のマニュアルも読み進められましたが、仕事のためとなると、触手が凍りついて全く伸びない、、とか書いちゃってるけど、このページ、仕事先の人、読んでないだろーなー・・(笑)

ともかく、このHPを創っていなかったら、図や写真入りのフルカラーの企画書制作などはデザイナーの力を借りずには決して作れなかったので、このHPは、私の仕事面にまでちょこちょこと恩恵を与え始めてくれています。
そしてつい最近、とうとう、ある会社のHPを仕事として制作させてもっちゃいました。
私ほどのパソコン音痴が、お金をもらってHPの制作をするなんて・・、これはひょっとして犯罪に近いんじゃないかと我ながら心配でしたが、クライアントはそこらへんのこともよく了解した上で私に発注してくださったので、格安料金にて思いきってやらせていただきました。
想像していたとおり、その過程では手に余る点が色々出てきて、友達に泣きついて教えてもらったりしまして・・、その人には一生頭が上がらなそうです。(^^;
お陰様でクライアントには大変気にいっていただき、次の仕事にもつながっていきそう。
コピーライターである私が、こんな仕事まで受けるようになるとは、世の中、何が起こるかつくづくわかんないもんです。(笑)

うん、世の中、何が起こるかわからない・・。
悪い意味でもそうだけど、いい意味でもわかりませんもんね。

話はトートツに変わりますが・・、
つい最近、この歳になるまで頑固ひと筋ひたすら守り続けてきたある記録を、ついにストップしてしまいました。
別にえらくも大したことでもない記録ではあるものの、とりたてて自慢できることが他にない私にとっては、かーーなりこだわり続けてきた記録だったのにな〜。
ウカウカしてると、守りたいものも守れませんね。
もったいぶりたい訳じゃないんですが、それが何であったかは、どうでもよくなる時がくるまでやっぱり内緒にさせてください。(笑)

時計が早く回りだしたような・・、ウカウカしていられない気がする今日この頃。
それは、師走のせいじゃなく。
時間の大切さを、また、しみじみと感じているからで、私は少し焦りぎみくらいで丁度いいのかもしれません。




10 月 29 日(火)  

私にとって2002年最大のイベントはなんといっても、8月末のガイア自主上映会でした。
でも、この「言の葉の山」の中でガイア自主上映会という文字を書いたのは、これが初めてかもしれません。
ガイアについてはここ以外の色〜〜〜んなところで、かーなり書きまくってきたもので、ここでまで書くゆとりがなかった感じです。

あれから約2ケ月。
今さらながらなのですが、ちと思うところありまして、、
上映会後に集○会のHPに書いた日記をこちらにも載せておこうと思います。

9月 19日 木曜日  あの夏は過ぎても・・

集○会の5人の中で、何をやらせてもσ(^-^;)が一番遅いのは今に限ったことじゃありませんが、上映会後の日記を書くのが、まさかここまで遅くなるとは・・・。
遅過ぎて誰も読んでくれんっちゅ〜ねん!(笑)

いや〜、正直言って仕事がたまっちゃって手も足も出なかったんですが、それだけじゃなく、いわゆる抜け殻状態に思いっきりハマっちゃったんですよねー。
漫画みたいに力抜けちゃったんです、上映会終わった途端に、プシュ〜〜って。(笑)

でもそれくらい、ガイアは私にとって素晴らしく大きな体験でした。
「素晴らしい」っていうのは、ただ楽しかっただけじゃなく、精神的にも肉体的にも色んな苦労やプレッシャーがあったからこそ、実になったことや、その苦労を乗り越える一つひとつの喜びを深く有り難く実感できたってことなんです。

多くの方々が「当日は行けないし何もできないけど、応援してるからね。」とか「リンク張るくらいのことしかできないけど」などと、よく言ってくださいましたが、私達は、その言葉かけの一つひとつだって、しみじみと心からうれしかった・・。
「たった1枚しか買えないけど」と言ってくださるそのたった1枚のチケットを買っていただけることが、その都度、新鮮な喜びでした。
その全てが、ガンバルための原動力となってくれくれました。
また、支援してくださる人がふえるたびに、そこに不思議なつながりが次々と見つかったり、新しいネットワークが生まれていくこともとっても素敵な体験でした。

そして、大盛況だった上映会当日。
映画の上映が終わったあと、客席から自然と沸き上がったあの大きな拍手。
アナウンスのために舞台の袖にいた私は、想像もしていなかったあの世にも素晴らしい音に包まれて、涙が出そうになっていました。
そしてその場ですぐに、影アナの原稿に
「私達・ちょっと集○会の5人は、この上映会の一日を、一生忘れないでしょう。」
という一文を付け足し、最後のアナウンスをこう語って終えました。
「ガイア上映会を通して、ふれあい、つながることのできた
 全ての皆様に、心より、お礼 申し上げます。
 本日は、誠に有難うございました。」
するとその時、会場からもう一度、大きな拍手が起こりました。
私はもう感無量で、思わず声に出して「夢が叶った・・」とつぶやいていました。

あの2回の拍手は、まるでお客様の手から、見えないハートが私達5人に向かって一斉に飛ばされたような、いえ、きっとそのとおりだったのだと思います。
観客席の皆様が私達にくださった、最高のプレゼントでした!!
本当に、本当にありがとうございます!!

私達は、自分達が感動し勇気づけられたガイアを、また他の人の心にも写したかった。
「写す」は「移す」であったかもしれず、ガイアを自主上映するということは、単に一つの映画を写すということではなく、誰かが自主上映することで自分の心に移ったガイアのメッセージを、また他の人に伝え、つながっていくことでした。

上映会終了後も、たくさんの方々が感想をお寄せくださって、その中には、「自分もいつか上映会をしてみたい!」という言葉が幾つかありました。
もしかしたら、それを実行に移し、1年後、2年後には実現する方がいらっしゃるかもしれません。
きっと、いらっしゃる!と、私は思います。

この上映会をつくってきた日々の中で、有形無形のたくさんの大切なことを得てきましたが、私にとっては二つ、とっても大きなことがあり、一つは「人との出会いとそのつながりの大切さ」を深くしみじみと心に刻めたことです。

「人生はからくりに満ちている。
 日々の暮らしの中で無数の人と すれ違いながら、
 私たちは出会うことがない。
 その根源的な悲しみは、 言いかえれば、人と人が出会う
 限りない不思議さ、すばらしさに 通ずるのだ」

この星野道夫さんの言葉を、一生大事にしていきたいです。

そしてもう一つは、
「 夢は叶えればホンマに叶うんだ・・」
と実感できたこと。
特別に熱かった今年の夏がどんなに遠くなっても、この実感は私の肌身から離れることはないでしょう。

これほど欠けがえのないとびきり素敵な宝物を与えてくれた、ガイア上映会にかかわってくださった全ての皆様と、一緒に泣き笑いして苦労かけまくりだったHANAさん、まゆりん、RATSさん、そのちんに、今頃だけど改めても一度・・(^_^;、心からの愛と感謝を込めて、ありがとう。。(T_T)
梅干しばーちゃんになるまでずーーーーーっと、
素敵なみんなでいてください。
これからも、ガイアの教えてくれたことを忘れずに、
素敵なこと一杯見つけながら生きていきましょうね!!




8 月 5 日(月)  

猫拾い騒動の時に、ここを読んで気にかけてくださりつつも静かにあたたかく見守っててくださった皆様方、その節は有難うございました!
拾った時は生きられるかどうかわからなかった子猫はその後、みるみる回復し元気になり、おまけに可愛〜〜〜〜く育っています♪

毎度わかってはいるのですが、動物を拾うと、長い年月に及ぶ責任が発生すると同時に、なんつーかつまり、拾ったこちらも傷つきます・・。
親もいず、水もエサもなく、目も鼻もふさがってしまって炎天下の道ばたに倒れていた小さな子猫への悲しみもありますし、すでに飼っている老犬たちに悪いな・・とも思うし・・、「綺麗ごとじゃないのか? その場の自己満足のために拾ってしまう、弱さなんじゃないのか?」と、自分でも自分を問いつめて心の中をかき回しまくってしまうので、そんな色んな思いや、これからの対応で一杯一杯になっている時に、「拾ってあげて、あなたは偉い。でも、私にはできない。」なんて言葉をかけていただくのが辛いという気持ちって、わかってくださるでしょうか・・。

でも実際には、私のそんなややこしい気持ちなんか、あっちゅーまに吹き飛ばされてしまいました。
だぁーって、なんつったってーーー、子猫ってばもぉーーー、めぇーーっちゃ可愛いんですぅぅ〜〜!!
あ、今も、あの可愛いやんちゃなお目めでこっちを見て、飛びついてこようとしてるぅぅ〜〜。(笑)
そのうち、アジールの動物達のコーナーに、この子のページもアップしますネ!

子猫に付けた名前は「チョビ」。
息子のハンドルネームは、ハムテルにしよっかな〜。(笑)




7 月 7 日(日)  

昨日の一件のつづき〜〜〜〜

うちには犬が2匹いますが、この2匹は2匹とも、もともとは拾った犬ですし、だいぶ前には、ガレージの中に子猫を捨てられたこともあります。スーパーのゴミ袋に入れられてダストボックスに捨てられた猫を拾ってきたこともあります。
なので、捨て猫、捨て犬の里親探しは、過去にイヤというほどやったことがあるわけです。
しかも現在、鳥とスナネズミをたくさん飼っている我が家では、悲惨な事故があってはイケナイから、猫を飼うのだけは我慢しよう!ということになっていたのに、それでも拾ってしまった・・・・・・・・。
とにかく、どこか救済してくれる組織などはないかと、一応調べてみたのですが、その過程で何度も突き当たるのは「自己満足」という言葉。
一旦は保護したにも関わらず、他人に押し付け自己満足に浸る”人がとても多いということなのですが、動物を拾っても人に押し付けることがそんなに容易にできるものなら、私はもっと拾っちゃうことでしょう。
それに、人から言われるまでもなく、自分の中でも「その場の自己満足のためだけに、今、拾ってしまったら、これからどんなに大変か考えろーーー!」なんてとっくに考えてます、さんざん。
それでも拾ってしまう人達のほとんどは、ただもう単純に、そのままにはしておけなかったから拾ってしまうのだと思います。

それはともかく・・・
目がつぶれかけていたこの子猫は、写真を載せたら絶対もらい手がつかないような状態になっていましたし、とても弱っていてこのまま生きられるかどうかさえ定かではなかったこともあって、私は里親探しは早くもあきらめ、それよりも、鳥やスナネズミのいない2階だけでこの猫を飼う方法を考え始めていました。

そのために協力してもらう必要がある息子と夫の、猫を見せた時の反応はというと・・。
まず、学校から帰ってきた息子は、見たと同時に吹き出しそうになりながら「どしたの!? これ!!」と聞くので「おかーさん、拾っちゃったの・・・(T_T)」と答えると、
「拾ったということは、あなたは、捨てられていたこの猫を一度でも抱きあげたわけですね? 抱き上げた瞬間、この猫はあなたの所有物になりました。なので、あなたはもうこの猫を捨てることはできません。捨てた場合、法律に違反したとして罰せられます。」と、得意満面の顔つきでのたまいます。
「おかーさん、もっとお利口になるから、この子飼っていい?」と聞くと、「う〜ん、飼ってもいいけど僕の一存だけでは決められないなー」と愉快そう。
息子の語った所有権うんぬんの言葉が法律的にホントかどうかは怪しいところですが、それにしても、うちの息子、一体誰に似たんだろ・・?

そして、仕事から帰ってきた夫はというと、
ダンボールの中をのぞきこんだ途端、「ありゃ〜〜〜、ど〜したの? これ〜〜」と目を細めるので「拾っちゃったの・・・」と一言答えると、「そーかー、でも可愛いねー。いーよ、いーよ。」と、慰めながら笑ってくれました。
それは16年前に、今では老犬となった小夏を拾ってきた時と全く同じ反応。見事に同じシチュエーション。

今日7月7日は、実は私たち夫婦の結婚記念日でした。もう丸17年が過ぎて、18年目。
小夏の時から、変わらないでいてくれて有難う。
と書くことが私からのびみょーな感謝のしるしなんだけど、書いたことはわざわざ言わないから、気づくかどうかは知らにゃい♪





7 月 6 日(土)  

今、座ってる椅子のすぐ脇に一個のダンボールの箱があります。
その中に何が入ってるかというと・・・・
・・・・・・・・・・・・・・ ねこ ・・・。  ・・・、(^-^;

昨日のこと。
車を運転していると、道の左端に横向きに倒れている子猫の姿が見えました。
ちょうど、大きなトラックの出入り口近くだったので、「車にはねられちゃったんだな・・、可哀想に・・」と思って通り過ぎたのですが、「でも、意外にもまだ息があっりして・・・」という考えがムラムラとわきおこってしまい、車を止めてしばし思案した挙げ句、そこに車を置いたまま歩いて引き返し、様子を見にいってしまいました。
すると、トラックの運転手さんが一人、猫が倒れていたあたりにトラックを止めてウロウロしています。下の方をのぞきこんだりしていて、あの子猫の様子を伺っているらしかったので、もし、死んでしまっているなら傷んだ死体を見たくはないなと思った私は、少し遠くから「もしかして、まだ生きてるんですか?」と声をかけたところ、「うん、息してるんだよ〜」と言うので見てみると、子猫は横倒れになりながらも、そのおなかは確かに少し動いていて呼吸しています。
「でも、このままじゃ、すぐ死んじゃうだろうねー・・」とトラックの運転手さんが言うので、思わず「私が病院に連れてきます。」と口走ってしまった瞬間に、運命は本決まりになったのかも・・・。
トラックの運転手さんは「じゃあ、ちょっと待ってな」と言うとトラックの中からティッシュの箱を持ってきて、上の部分を壊して中のティッシュを少し残して取り出し、その箱の中に子猫を入れて渡してくれました。

子猫の顔は目鼻がグチャグチャのゴワゴワで、「目がつぶれちゃってるのかな・・?(T_T)」という感じでしたが、私が歩き出してしばらくすると意識が戻って、ミャアミャアと、か細い声で切なく泣くのです。
そして、すぐ近所の我が家の動物たちがいつもお世話になっている獣医さんに連れていって診ていただくと、「う〜〜ん、生きられるかな〜〜。とにかくこのまぶたを開けないと・・。ふさがったままになってると失明しちゃうんですよ〜。ただ、もう手後れになっちゃってるかもしれないな〜〜」と言いつつ、目薬をつけながらまぶたをしぼるようにすると膿が一杯出てきて・・・、子猫は痛がってみゃーみゃー泣くし、とても見てられません・・・。(T_T)
でも何度かそれを繰り返してると、なんだかへ〜〜んな 顔になっちゃってるものの、なんとかまぶたが開いて「あ、開いた、開いた! これなら大丈夫かも。おまえ、何日ぶりかで光見ただろ〜」と獣医さんが言います。
そして獣医さんは、熱を計ったり薬を飲ませたりし、「ど〜かな〜、食べてくれるかな〜・・」と言いながら、子猫の口をこじあけるようにして猫用の離乳食を針のない注射器で飲ませてみると、子猫はジタバタあばれながらも、離乳食をクチャクチャ飲み込んでくれます。
「あー、食べる食べる! これならイケるかも! ほら、ちゃんと食べて、この子は生きる気マンマンですよー。」

”生きる気マンマン”・・・。

獣医さんが何気なく言ったこの一言がたまらなくジンときて、私へのとどめの一撃になっていました・・・。


明日は早起きしなきゃイケナイので、この続きはまた今度・・・・(笑)

大変勝手なことをのたまうようで申し訳ないのですが、
ままが猫を拾っちゃった話は、掲示板上ではまだ話題にしないでいただけると有り難いです・・。
さすがに自分でも、色々思うところあって・・・。
ここで書いてるくせに矛盾してるよな、とは自分でも思うんだけど、
でも、もし、掲示板上で人様から、美しいエピソードのように語っていただいちゃうような事があったりすると、
少し違うだけに、少し困るかも・・(T_T)、っていうような気持ちが、なんだかありまして・・。
意味不明かもしれませんが、そこんとこ一つ、ヨロシクご容赦のほど・・。m(__)m




5 月 25日(土)  

この下の下の日記を見ると・・・、「あけましておめでとうございます。」なんて書いてあって・・、そんなセリフがこんなに近くにあるのははなはだ心外なんですが(笑)、時のたつのが早くて早くて困るな〜〜。
歳をとるに従って、時の流れを早く感じるようになるのが一般的な感覚だそうで、確かに以前、そろそろ80近いうちの叔父さんが、毎回日曜日にやってるNHKの大河ドラマを毎日見てるような気がするんだよなー、とか言っててウケたことがあります。(笑)

と、言い訳から始めてしまいましたが、今月の21日、この「うぃんままのアジール」は2周年を迎えました。正確に言うと、2周年を迎えたことをすっかり忘れているうちに、2年目の誕生日を4日も通り越してしまいました。(笑)
でも、休むことも閉じる事もなくコンスタントに2年間続けてこれたのは、来訪者の皆様のあたたかい応援のおかげ!!
ホントにいつもありがとうございます。m(__)m

いつも書いていることですが、発信したことを受け止めてくださる方がいらっしゃるということ、そしてそれだけでなく、反響を寄せてくださったり、参加してくださる方がいらっしゃるということは、HPを生かし続けていく一番の原動力です。^^
それが一つの形になってくれたのが、「バドミンター川柳」のページ。
この「うぃんままのアジール」内に、私がつくったページだけではなく、来訪者の方が積極的に参加してくださったことでできあがったページを開設できたことは、HPの管理人として、とーーってもウレシイ出来事でした。
一時、ドッと流行って、ドッと鎮火してはおりますが(笑)、でも、すでに3ページにわたる238首もの投稿をいただいておりますし、質といい量といい想像以上の素晴らしさ!で、このページは唯一、私がいつでもどこでも自信をもって宣伝しちゃいたい自慢のページとなっています。
またもう少ししたら熱い時期ならではの川柳が出てくるかなと思いますので、声をかけて募集してみようかと考えています。その節は、皆様どうぞヨロシクお願い致します!(モチロン、熱い時期ではなくても、応募はいつでも受け付けております。^^)
あ、バド川大賞を決めるってのも、マジっすから!(笑)

いろいろ書きたいことがあって開設したこの「うぃんままのアジール」。あれから2年もたってるのに、当初作ろうと考えてたページの中でも、今だにまだ工事中のままで、完成してないところがあるのは本人も意外です。(笑)
そしてこれはHPを立ち上げる時には予想してなかったことですが、まだまだ工事中のところだらけなのに、他にも書きたいことがあれこれと出てきて、工事中のページは減るどころか増えています。増えてどーするっ!?(笑)
正直いえば、ときどき気持ちがジレちゃうこともあります。いや、しょっちゅうかな〜〜。
バドの方も、乳がんの方も、本も、シネマも、書きたいと思ってることはそれぞれ一杯あるのに、とにかく時間が足りない〜〜。私の後頭部にはいつも、書きたいと思ってることがいくつもの浮遊霊のように浮かんでいて、その一つひとつから「ね〜〜、まだ〜?まだ〜??」とつつかれてるみたいな感じなのです。(笑) これは早く成仏させてあげてないとイケナイとか書いてると、だんだん怖くなってくるのでもーやめとこ。(爆)
リクエストしてくださったお客様には大変申し訳ないけど、遅々として進まないかわり、ネタ切れで困ることは、あと10年くらいないかも。(笑)

いつのまにかページ数がふえ、お皿ばかりがたくさん並んでいるけれど、その上の料理はほんのチョビットずつ、みたいな構図になってきてしまったこのHPですが、どなたにも食べていただけず干涸びてしまう料理がないよう、いや、その前に、食べても冷たくて味気ない悲しい料理がないよう、お皿の上に並べる一品一品にはいつも、ささやかなりとも自分なりのスピリットを込めて作っていきたいな〜と思っています。

3年目に入った「うぃんままのアジール」。
まだまだバブバブ言ってて、時々そそうもやらかす頼りない3才ですが、どうぞこれからもたくさん遊んでやってくださいませ!^^


  3 月 3 日(日) 

ここ数日、この時期になると毎年やってくる超キツキツスケジュールの仕事に追われていますが、この土日でひと息つかせてもらっているので、ついさっき自分のHPを開いてみて言の葉の山をクリックしてみたら、「新年、あけましておめでとうございます!」の文字が目に飛び込んできて、ぎょっとして思わずウィンドウを閉じました。(笑)
いや〜〜、2月は自分の誕生日もあったのに、一度も書いてなかったんですね〜。余りにもひどいサボリようなので、CGI形式の日記帳を使うことも、やっぱも一度考えてみようかな〜。あれだと作業がひと手間はぶけて、掲示板にカキコするみたいに気軽に書き込めるから楽なんですよね。ただ、掲示板ならともかく、この言の葉の山で既製のCGIを使うことによって、そこだけ他のコンテンツと異質なムードの空間になってしまうのはやだしな〜。う〜ん、誰か、ここのカラーでオリジナルのCGIを作成してくれないだろうか?(笑)

と、舞台裏での管理人のボヤキはさておき!(笑)先月の誕生日には、たくさんのお祝いメッセージを誠にありがとうございました!!
41才・・。いや〜、しぶい年齢になってきましたね〜。わびさびを感じさせる響きがありますもんね〜。(笑)
しかし本人、落ち着いた心境とはほど遠く、それどころか今年はちょっと色々と積極的にトライしていく所存でおります。(笑)

その一つは、これまで続けていたホルモン療法をやめたこと。乳がん手術の補助療法として、あと2年、毎日飲み続ける予定だった抗ホルモン剤を3年でやめました。乳がんのフォローアップ期間は10年。他のがんより長いですし、これは再発の予防治療効果を狙って服用してきたものですが、薬を飲むことにはやはりデメリットがつきものですし、その上、確かな再発予防効果がある、とは言えないのが哀しいところ・・。
とにかく、3年目のフル検査をクリアして自信も持てたし、薬をやめることによる肉体的・精神的・経済的(笑)メリットの方が大きいと考えています。
そして同時に、病院を変えることも決めました。あ〜あ、書いちゃった〜。(笑)
私にとっては、この件はここ3年ずっと抱え続けてきた悩みであり、HPをつくるなどして、ビクビクしながらも私なりになんとか問題から逃げずにあがき続けてきましたが、今、こう決めたことによって、ようやく自分のペースで肩ひじはらずに歩いていける気がしています。
患者とドクターとの関係、これは医療の世界のシステムの問題だけじゃなく、人と人との相性なんていう漠然としていてデリケートな感情まで関係してくるので、とても難しい・・・。
でも、私は”主治医の「治療」には”なんの不満も持っていませんので、実はうぃんままがかかっていたのと同じ病院に通っている、という方が来訪者の中におられたとしても、どうか不安を感じたりはなさならいでくださいね。万人に100%満足してもらえる人間など、どこの世界にもいませんし、自分自身が納得できるか否か、大切なのはこれですもんね。

それと、もう一つのトライ。
間違いなく今年最大のイベントとなる事を夏の終わりに開催致します。
う〜ん、こっから先はちゃんとコピーを書いてからアップしますので、勿体ぶるようで申し訳ないのですが、やっぱもうチョット待っててくださいね〜〜。(笑)

ちなみに、先日、朝日新聞の神奈川県版の特集「いま患者から」の第2部「もう一つの誕生日」に「こころの健康 愛ランド」http://sonoea.hoops.livedoor.com/ の管理人であり、ままの友達であるそのえさんを取り上げた記事が6回の連載で掲載されていました。
ウェブ上で見れますので、興味を持たれた方はどぞご覧になってみてくださいネ♪
  ↓
 
こちら                                    *第4回目のとこで、わしがココア飲んでます。(笑)



 1 月 3 日(木) 

新年、あけましておめでとうございます!
今年、第一発目の言の葉の山は何を書こうかな♪ ←決めてから書き出せよ。>まま(笑)

このHPを開設して一番良かったこと。年の初めに、これだけ書いておこう。
それは、好きな人がふえたり、好きな事が良く見えてきたりしたことです。
バドの空の掲示板にも書いたことですが、好きっていうのは一番素敵な感情じゃないかと思います。
好きな人達や好きな事を、もっとちゃんと大切にしていかなきゃな。
このHPも、好きって気持ちを込めながら続けていきたいです。

新年早々、年賀状のページの最後に「平成15年元旦」ぬぁ〜んて堂々と書いていた(他にも色々やった・・)ドマヌケな管理人ではありますが、今年もどーーーかひとつっ、ヨロシクお願い致しますっ!




 
12 月 30 日(日) 

日付けを12月30日と打ち込んだ途端、思わず「あ〜あ・・」と白目をむいちゃいましたが、でも、正月準備が何も進んでないことなんて大したことじゃないじゃないか!世界は広いんだ!!私みたいな主婦だってきっと五万といるさ!!っつーことで、細かいことは気にしないで、ここでしばし、今年を振り返ってみることにしたいと思います。(笑)

・・・、今、このページを下までスクロールしてみて、気づきたくなかったことに気づきました。
今年が、この1ページだけで終わってしまってる!!(爆) <気づかなかった方がどうかしてるが。(笑)
私にとって、このHPの存在は去年よりもっと大きなものになってたんですが、更新作業は情けないほど進みませんで、リクエストへの空約束をしてしまった皆様、ホントーーにゴメンナシャイ! 

でも今年は、乳がん関係でもバドの方でも色々とエキサイティングな出来事や出会いがあり、ジタバタ悩むことも多かったものの、最終的にはとてもいい1年だったな〜と思える年となりました。
前半の最大のマイブームは、乳がん学会に優しくかみついてみたこと。(笑)
いや、モチロン遊び半分でやってたわけではなく、いわば危ない橋を渡っているという気持ちもありました。風当たりは強いし、報われる何物も無いだろうことは承知の上〜。人権を侵害してしまう怖れもあったので神経をすり減らしながら歩いているようなところもありましたし、賛否両論のDMへの対応に追われ、近年まれにみる睡眠不足になったりもしました。
それでもあの時私は、行動したいと思い、行動できる状況であるのに、行動しないでいることの方が苦しかったんですよね。
そして後になって振り返ってみれば、そういう野生の本能とでもいいましょうか(笑)、勘みたいなものは、やはり結構正しかったりするもんだなぁと思っています。(あ、とはいえ、勘だけで無責任にアクションを起こしたわけじゃないっすからね〜♪)
あの一件でつかめたものは、勉強になった物事や出会えた人々とその交流。そして、反骨精神をほんのちょびっとだけ磨けたこと。
う〜ん、一人よがりでダメじゃん!(爆)
いや、でも、最終的にノーリアクションではなかったし、少なくとも意見を届けることだけはできたし、個人的に得るものが大きかったんだからやっぱヨカッタ♪←地球よりはるかに自分に優しい。(笑) 

そして今年の後半は、バドミントンの素敵な底なし沼にズンドコおちてった感じでした。(笑)
話はいきなり横道にそれますが、私は昔から恥ずかしがるポイントが多くの女性たちとは微妙に・・、いや・・、かなりズレているところがあります・・。
たとえば、一人暮らししている頃の私は、貧乏であることを恥ずかしがってるゆとりもないほど貧乏だったので(爆)、私だって若い頃は若い女の子だったのに(当たり前)、安い店であれば、くたびれた中年のおっさんオンリーみたいな汚〜〜い立ち食いの店だろうがなんだろうが平気で入っていくし、電話を持っていなかったので社長の前でも会社の電話を私用に使わせてもらってたし(爆)、上司からおつかいを頼まれても「今、全財産200円しか持ってないので、先に電車賃ください♪」などと言うセリフをケロッとはける珍しい女の子ということで、社内でもある意味感心されつつ完全にあきれられていました。(爆)
それ的な個性は今だに色濃く残っているようで、以前、バドクラブの中でとんでもないドジをやらかしてしまった時(内容は書きたくない・・爆)、同じ部の心優しい先輩が思わず「もし、私があんなことやっちゃったら、恥ずかしくてクラブやめる・・」とつぶやいたのを聞き、「えええっっ!? これって、そこまで恥ずかしいことだったのっ!?」と驚いたことがあります。(爆)

とまぁ、そんな感じで恥ずかしさの方向性が人とズレぎみな私は、(さー、ようやっとバドミントンの話に戻ったよ〜・・笑)ある時ふとその気になり、私くらいのレベルの人はなかなか出ていかないような大きな大会の県予選の、しかも、ほっとんど練習したことのなかったシングルスの試合に出場するという(シングルの試合に出たのは20年以上前の高校時代以来・・爆)無謀なチャレンジを実践し、同じバドクラブの仲間たちに大いに笑っていただきました。ウケていただけて光栄です。図々し過ぎるとマジで怒る人がいたら、どうしようかと思ってましたから。(笑)
当然、その試合では、ものの30分くらいでケチョンパンにお料理していただき、それで終わったとばかり思っていたんですが、どーしたことか、棚から彗星のごとくボタ餅が落ちてきて(爆)、なんと、30才以上の同じ年代の人同士が競い合う全国大会に出場することができちゃって、しかもっ、ボタ餅様のお陰でとーってもいい想い出をつくれちゃいました。
その出場権をゲットできたのは、あの無謀なチャレンジをしたシングルスの試合に参加していたからです。
実は40代のシングルスにエントリーした女性は、私の他にもう一人しかいなかったため、結果、私はビリッケツでありながら準優勝という快挙を成し遂げ(爆)、全国大会への出場権を自動的にゲットしていたそうなのです。(←あとで人に教えてもらってわかった・・笑)
私にとっては県予選に出ていくだけでも大変大胆な事でしたから、その先のことなど全く視野に入れていず、全国大会の出場権を狙ってあのシングルスに出たわけじゃなかったんですが、結果的には、恥ずかしさの方向性が人とズレていたことがきっかけとなって、「生きてるだけで丸もうけ By明石家サンマ」状態となったわけです。(笑)

乳がん学会にかみついた時も、急に気が向いてシングルスの試合に出た時もそうなんですが、私は自分一人の責任でできることなら結構大胆なこともできます。ノーテンキな奴ですから。(笑)
なのにそうじゃない時は、てんで意気地なしになるということも、その後さんざん実感しました。(笑)
とはいえ、一人じゃないから達成できるってこともモチロンあるんですよね〜。
来年の目標の一つがそれ! 
今、仲間と一緒に抱えている夢があって、それを実現させるために協力していくプロセスそのものも、とっても素敵でワクワクしています。
もうチョット進んでいったら苦労が多くて四苦八苦することも多々あるとは思いますが(笑)、それでもなんとか今年、実現できたらいいな〜。

そーそー、末筆になってしまい恐縮ですが、今年1年、ここを訪れてくださった皆様には、本当にお世話になりました。
このHPを開設したことで、私はごく個人的な一つのメディアを持ち、たくさんの人達と交流することができるようになりました。
そこから世界が広がり、ネットを通して多くの皆様から素敵な原動力を与えていただいていること、とっても感謝しています。
毎度ごひいき、有り難うございます! 来年もどうぞヨロシクお願い致します!!

来年は、このガイアがもっと平和でありますように! 皆様にとって、より素敵な1年でありますように!!




 
12 月 11 日(火) 

私が算数とシイタケが嫌いなことは仲間うちでは結構有名な話ですが、次に挙げるとしたら、「人前に出ること」です。
つまり・・・、みんなの見てるところで黒板の前に立たされて、「この算数の問題を解けなかったら罰としてシイタケ食わせるぞ。」なんて言われでもしたら、これはもう私的には拷問以外の何ものでもなく、一挙に人格崩壊しちゃうでしょう・・。
私が結婚式&披露宴を挙げてないのも、ビンボーだったという理由以上に、人前に出るのがイヤだったという理由が大でした。ただでさえイヤなのに、ごっつい着物やドレスに身を包み、音楽にいざなわれて旦那と並んで皆様の前に登場するなんて・・・、「私だって昔は、ういういしい新妻だったのよ♪」とかのたまったらなぐられちゃいそうなあり様と化してる今でさえ、想像してみるだけでクラクラしてきます。
カラオケも、つい最近までずーーっとダメでした。一人で車の中で歌うのは好きだけど、人前で歌うのはめちゃ恥ずかしくて、とてもじゃないけど楽しいなんて思えませんでした。とはいっても、カラオケに関しては少人数でいった時にその楽しさを覚え始めて、最近では結構好きになっちゃってるんですが。(笑)
ともかく、そんなふうに人前に出ることがニガテな私が、こと、「書く」という行為に関しては違ってしまいます。
書きだすと、急に肝っ玉母ちゃんみたいに度胸が座っちゃうところがあり、普段は語れないことまで文章にし、しかもそれを人に読んで欲しくなってしまうのです。なので私はよく、「とてもパワフルな人ですね。」などと誤解されますが、それはホンマに誤解・・。
その実体は情けないほど小心者なので、今日も、アップした原稿をたくさんの人に読んで欲しいような、そうでもないような、でもやっぱ読んで欲しいような、恥ずかしいような、柄にもなくシャイなおばちゃんはなんとなく気持ちが落ち着かなくて、このページにこんなことを書きにきてみたりしたのでした。(笑)




 
11 月 3 日(土) 

今日は本当ならバドミントンの試合に出ているはずだったんですが、風邪で体調を崩してしまいあえなく棄権・・・。
めっちゃ情けなくて落ち込みそうなので、最近すっかり御無沙汰していたHPの更新作業に腰をあげることに致しました。
やけ酒ならぬ、やけ書きですな。(笑)

んで、いきなり硬い話題のようですが恐縮ですがぁ〜〜、私にはHP上で、政治的な主義主張みたいなものを発信し、プロパガンダしたいなんて気持ちはこれっぽっちもない、というか、そもそもそれほどの主義主張を持ちあわせてるわけでもないんですが、9月11日の同時多発テロとアメリカの報復攻撃については、掲示板上でもどうしてもふれずにはいられませんでした。
多分、反論があるだろうから意見交換したいと思ったので(予想どおり、反論はきちんとありました♪)掲示板に書き込みましたが、あの時の自分のカキコはこちらにも残しておこうと思います。

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[569] もっとイマジンを。 投稿者:うぃんまま 投稿日:2001/10/08(Mon) 11:40:46

私は政治や歴史にもうといし、現在の世界情勢だってよくわかってないのに生意気この上ないけど、でもやっぱ、思うことを書いちゃお。
とうとうアメリカ軍による空漠が始められてしまいました。
アフガニスタンやパキスタンでは、長い長い内戦や干ばつによる餓えによって人々はすでにさんざん苦しめられ救いを求めているのに、あんな悲惨な状況にある所に、この上また攻撃を加えるなんて・・。
市民への被害が細小限度に済むように、なんて言葉はホントに空しい。
空漠が始まる前だってすでに、アメリカの報復攻撃がいつ始まるかわからないということで、難民にとって唯一の救いだったユニセフや赤十字等の団体も今までのようには現地で活動を続けられなくなってしまい、食料や医薬品の配給も絶たれ、またここでたくさんの老若男女が、小さな子供たちが、なんの救いも得られず、希望もなく、餓えたまま亡くなっていっているそうです。
一般市民を巻き込まない戦争などあり得ません。
テロという人殺しは悪だが、戦争という人殺しは正義、なんてわけない。
アメリカの同時多発テロでたくさんの人が亡くなったことは実にむごく許しがたいことでした。その舞台がアフガニスタンに変わり人種が変わっても、人が殺されること、その一つひとつの死は、どれも同じようにむごいこと。同じように許されないことだと思います。
今、アメリカではジョン・レノンの「イマジン」が一部で放送規制されているそうですが、音楽が規制されるなんて危ない時代の証拠ですね。(←*私のこの書き方だと間違いで、正しくは”自粛”であったようです。)
私が入っているMLで聞いた話ですが、先日ニューヨークで、「ジョン・レノンに捧げるCOME TOGETHER」というタイトルのコンサートが開かれたそうです。
俳優やミュージシャンが入れ代わり出てきては、同時多発テロによる犠牲者を悼む言葉や、「それでもテロは我々をばらばらにはしない」という、今までによく聞かれたフレーズが続いたそうですが、そんな中で、ダスティン・ホフマンはこう言ったそうです。
「今、こう言うのはおかしいことでしょうか?
 彼はピースと説きました。それは彼の深い信念に
 基づくものでした。たとえどんな神であれ。」
ダスティン・ホフマンはすごく緊張していて、声はふるえ、目はうるうるしていたそうです。
大規模テロへの復讐に燃える人が多いアメリカの大衆の面前で、今、そのひと言を発言するのは、ダスティン・ホフマンにとって大変勇気のいることだったと思います。”非国民”呼ばわりする人だっているかもしませんが、それをわかっていながらあえて発言したのでしょう。
でも、言うまでもなくダスティン・ホフマンは非国民でも裏切り者でもない。平和を願ってるだけであり、盲目的なナショナリストじゃないだけです。
アメリカでは今、星条旗がものすごい売れ行きだとのこと。祖国を愛するのは本来は素敵なことですよね。
ただ、どんな時も一人ひとりが、個々の感性や判断力を大切にすることは肝心・・。
耳をふさがれ目をふさがれて操られる馬車馬のようになって、国家や組織のうたいあげる通りにしかものをとらえられないナショナリストになっちゃイケナイと思う。
愛国心とナショナリズムは、全く別もんです。
そして何よりもっと、国境をこえ、人種をこえ、宗派の違いをこえて人間同士がつながり、認めあい、思いあえる時代をいい加減始めていくべきでしょう。
インターネットだって、こんな時にこそ真価を発揮しなきゃ、ですよね。
というわけで、グローバル・ピース・キャンペーンのHPを、今一度ご紹介しときます。
   ↓
http://www.peace2001.org/
そしてもういっこ、もっとイマジンを、ということで友人のHANAさんのサイトから。^^
  ↓
http://www.ad.wakwak.com/~kabigon/breastcancer/imagine.html

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ちょっと一生懸命考えてみました。^^ 投稿者:うぃんまま - 2001/10/09(Tue) 20:43:24

本当に自分のことのように考えるってのは容易な事じゃないけど・・、
でもたとえば今、タリバンのテロリストたちがこぞって千葉に集結してしまい、私たちがタリバン政権のもとで抑圧されながら暮らしていたとしたって、世界をタリバンのテロから守るために千葉が戦場とされ、空漠で家族の命が危険にさらされることや、家も何かもかも捨てて逃げ回る生活を我慢しろと言われても、そんなの絶対イヤです。
危険なテロリストたちを消すために、罪もない人たちを巻き込んじゃったとしても多少は仕方が無い。そういう武力行使を日本やアメリカ国内でやろうとしたら、それはきっと許されないですよね。
なのにどうして、戦乱に巻き込まれ命を落とすのがアフガンの人々なら仕方ないと許されてしまうのでしょう。そんなことを許す権利が、一体、誰にあるのでしょう。
そんなやり方で、平和を築けるとは思えない。
そういうやり方からは、新たなる憎しみが生みだされていくばかりじゃないでしょうか。
タリバンは確かに、とんでもない政権だと私も思ってます。
でも、アフガニスタンの内戦はもう20年くらい続いていて、決してタリバン政権だけがこの国の諸悪の根源ってことじゃないわけですよね。
アフガニスタンの人々の中にも、アメリカがタリバンを倒してくれることを願っている人もいれば、この攻撃でアメリカを恨む人もたくさんいて、イスラム社会での反米感情は一挙に高まり、ますます過激な思想に走っていく人たちも多いでしょう。
タリバンが攻撃されたことで、北部同盟が勢力を盛り返しつつあるようですが、女性が教育を受ける権利を奪ったのはタリバンであっても、処刑は北部同盟の時の方が多かったという話もあります。(タリバンは公開してるから目立つだけで)
つまり、正義の味方で「善」のアメリカが、「悪」のタリバンを退治したら、それでこの争いは終わりにすることができて、アフガンにも世界にも平和が訪れるっていうような単純な図式ではないから難しいんだと思います。
今回のことの根っこにはパレスチナ問題があるようなことをビンラディンがしゃべっていたけど、イスラエルとパレスチナも、テロにはテロで報復、虐殺には大虐殺という血ぬられた歴史を古くから繰り返してきて(アメリカも加わりながら・・)、それが周囲の国々もまきこみながら中東問題は続いてきたんじゃないでしょうか。
とにかく中東の状況はめちゃめちゃ複雑で奥も裏も深そうです・・。
ブッシュ大統領は、「アメリカの側について一緒に行動するか、テロリストの手先になるか、二つに一つ」なんて演説していて思わず目が点になりましたが、道が二通りしかないなんて、なんというアナクロな発言・・。
文明っていうのは、より高率良く確実に狙った人を殺すハイテク兵器をつくるためではなく、文化も価値観も宗教も多様な人間たちが共に生きていく道を開拓するためにあるものだと思います。
21世紀にもなって、やっぱり昔ながらに殺しあう戦争しかできないなんて、すごく情けないことじゃないでしょうか?(/_;)

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すんげー長くなっちゃったー。 投稿者:うぃんまま - 2001/10/10(Wed) 17:42:31

テロリストだろうがなんだろうが、家族や自分の命をおびやかす敵があらわれたら、私だって全力で闘いますよ。怖いけど。(笑)
テロリストたちと話し合って和解してその罪も許そうって言いたいわけじゃないんです〜。^^
ただ、”話してわかる相手じゃないから、周囲の人もまとめて殺しちゃおう”
というやり方は、そこに至るプロセスはどうであれ、手法として、結果として、無差別テロと似たようなもの。
それこそ、ブッシュが失言しちゃった十字軍の時代から続いてきた、一般市民も一緒くたにむごたらしく殺りくしてきた野蛮な戦争と本質的には変わらないと思うのです。
>もしアメリカが今回の攻撃しなければテロは起きないのでしょうか?
とありますが、もちろんそうは思ってません〜。
同時に、アメリカが今回の攻撃をすることによって、テロがなくなり、アフガンやアメリカや日本が安全になるとも思いません。
テロ集団ってのは本来、地下に潜ってはあちこちにゲリラ的に現われて活動するからテロリストなわけで、全世界に散ってるわけですよね。
アフガンのタリバン本拠地を攻めれば、全イスラム過激派を一掃でき、その信奉者も考え方をシフトしてくれるとはとうてい思えないし、それどころか、イスラムVS欧米社会という対立の図式がこんな勢いで過熱していったら、より過激で陰惨なテロと報復攻撃の繰り返しが始まらないとも限らない。
世界全体の人口からみれば、ほーんのひと握りの狂信的なテロリスト集団にさえ、あんな壮絶悲惨きわまりない最悪の大規模テロを実現させてしまった現代文明。
そういう今の世の中でこんな闘いを続けてたら、いつかは生物・化学兵器や、あるいは核までが使われてしまいかねない。
アメリカ軍では、化学兵器などで大量の自国民が殺された場合には、戦術核兵器によって反撃することが認められてるそうです。
戦争はまた憎しみを生み、人を殺し、次なる戦争へと連鎖していく。
愛する子供たちに、戦争のある未来を残したくないじゃないですか。
自分や自分の家族が殺されてる人は、「それでも、この戦争はしょうがなかった。」と思いながら死んではいかないはずです。
>青い鳥は身近にいるはずなのにね
イマジンの歌詞の一節のように「夢想家」と呼ばれても、私も燕子花さんのこの言葉みたいな考え方というか”センス”の中に、道はあるんじゃないかと思ってます。^^
アフガニスタンでイスラム過激派のような思想が育ち、盲信され、タリバンのような組織が政権を握ってしまったりするその根底にあるのは、なんといってもあの一帯の国々の貧しさでしょう。
食べるものすらないのですから教育を受けるどころじゃなく、勉強して自分なりのものの考え方を養う機会なんて皆無なまま、何万人もの人々が次々と餓えて死んでいく国。
そんなところに、数字に弱い私には想像もつかないほどバカ高いに違いないハイテク戦闘機を何機も飛ばし、一発いくらなんだか聞いたら腹がたつほど高いだろうミサイルを何発も打ち込み、とてつもなく巨額の費用をかけて味噌くそ一緒の人殺しをしてるなんて、すさまじく間違ってる気がします。
そんな巨額の資金があって、ましてや欧米諸国もその他の国々もこぞって立ち上がり連帯できるながら、一方ではテロ対策の専門家たちによってテロリストを追いながら、人々には食べ物と身の安全と平和を愛する心を育てる教育の機会を差し出し、混乱したこの国の基盤の立て直しに力を貸すことだって本当はできるんじゃないでしょうか。
そんなのは甘っちょろ〜〜くて、ヘソで茶ーわかしちゃうような絵そら言かもしれませんが、でもとにかく、憎しみだけに心を奪われずに力をあわせて考えることができれば、何か他に道は見つけられるはずだと信じます。

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Re: 再復活〜 投稿者:うぃんまま - 2001/10/11(Thu) 16:22:17

>どうしたらいいんだろう・・・
>どうしたら世界に平和がくるんだろうね・・・

壊すのは一瞬だけど、平和を作りあげていくってのは長い時間がかかるのは確かですよね。
そして、「戦争しか道はない」という結論を選ぶ国がある限り、世界は平和になれないと思う・・。
過去のどんな戦争も、「絶対必要ってわけじゃないんだけど〜、でもやっぱ戦争した方が良いと思うから、やっちゃうことにしよーか?」ってなふうに始められたものなんて一つもなく、全てが「これは平和のために、今、絶対に必要な戦争なんだ!」って大義のもとに始められたわけですよね。
第2次世界対戦に突入していく時の日本だって、国民のほとんどが心からそう信じていたけれど(注:ままはその頃まだ産まれてません。・・笑)、あの戦争をやって良かったと思っている人なんていないでしょう。
戦争へと転がっていく道ってのは、過去の戦争の憎しみが未来の戦争へのレールをキチントしいていて、いわば、あらかじめ準備されているみたいなもの。
それに比べ、平和をつくる道ってのは、開拓してなきゃいかなきゃイケナイわけだから、これは相当大変!!
でも、世界には頭のいい人たちが一杯いますからねっ♪
そういう頭脳を平和のためにもっともっと生かしてもらって、何兆円とか、何十兆円(??)もかけて大量に人殺しする戦争にかかる費用を全部、多様な人間たちが認めあって共に生きていくための費用として使うことにして、同時に、ままのような日本でつつましーやかにバドミントンしてる名もないママさんとかも、平和を探す道をあきらめてしまわず、小さなことでもできることがあったらたまにはやってみたり、声をあげてみたりする。(図々しいこと言うようだけど、ここでこんなふうに意見することだって少しは意味を持つと思ってんの。(^_^;))
そんなこんなして、平和を開拓するためのウェイブを地球上に盛り上げてって、その大変さを一つずつでも乗り越えて次代につなげていくのが、真の人間の叡智ってもんじゃないでしょーかー。(*^_^*)




 
9 月 30 日(日) 

9月21日の土曜日に息子の運動会がありました。
うちの息子は小さな頃から身体を動かすことが
ニガテなタイプだったので、小学校に上がってから、時間割りの中で一番嫌いな科目が体育・・。運動会も、その練習も嫌いだったんです。運動会シーズンが近付くと憂鬱そうになってくる息子の様子に、私や夫はいつも心配していました。
ですが、そんな息子も高学年になるにつれて少しずつ体育嫌いが解消できてきて、去年初めて「今年の運動会、すんげー楽しかったー♪」なんてセリフを聞けた時には「今、なんて言ったの!?」と聞き返しながら思わず感激してウルウルしてしまいました。バカな親ですよねー。(笑)

今年は小学校6年生になる息子にとって、小学校時代最後の運動会。そのメインイベントのマーチングパレードで、一人しかいない大太鼓をやれることになり(体がデカイからって理由だけなんだけど・・笑)息子は緊張しながらもうれしそうで、マーチングパレードのための朝練も毎日やる気マンマン。私は私で、もう来年の春までしか使えないというのに新しい体操服の上下&紅白帽まで新調しちゃったりして(爆)、当日のビデオは血まなこになって撮影してました。(笑)

そして今年も、お昼御飯を食べ終えたあと、息子は平均台の上で仲良しの友達数人と遊び始めましたが、それを見ていて、ふとドキッとしました。去年の運動会のお弁当のあとも、息子たちは丁度あんなふうにみんなで平均台に乗って遊んでいて、その時の写真も残っているんですが、その中の一人が運動会の約1カ月後に交通事故で亡くなり、今年はもう、あの悪ガキ軍団の中にいないのです。

人ひとりが亡くなるってことは、どこまでも痛ましく、いつまでも悲しいことです。
どこの誰であろうと、そのご家族や親しい人たちにとっては欠けがえのない、決して替えのきかないたった一人の命。
話が飛躍してしまうようだけど、生きて、色んな人たちとかかわりながら、ささいなことで喜んだり悲しんだりしながら暮らしている息子たちが目の前で遊んでいる姿を見ながら、そこにいない少年の面影を思い出しつつ、
「あぁ、人一人が死ぬってのは、こんなにも悲惨なことなんだ・・。戦争なんか許しちゃイケナイよな、人殺しなんか認めていいはずがないよな!」と、改めて感じていました。

******

このあと、その男の子のお母さんからクラスの同級生あてにお手紙が配られました。
その一部だけご紹介させていただきます。

「一人の人が死ぬと、その人の回りにはたくさんの悲しい思いをする人がいるんだということを皆さんが覚えていてくれて、
 この先大きくなっていく時に、自分の命を大切にして
 そして、他の人の命も大切に思って下さったら、○○の11年という短い命も
 とても意味のあるものになると思います。」

こんなお手紙を書くことになるなんて、親としてどれほどに辛く苦しく切ないことか、想像もつきません。
せめて息子たちが、このお母さんの言葉をよくよくかみしめて忘れないでいてくれますように。
大人になった時にまた、世の中が今のような世界情勢になったとしても、日本に住む名もない少年の命がその周囲の人々にとって欠けがえのないものであるのと同じように、遠い国の名もない誰かの命もたった一つしかない替えのきかない命であることを心で感じられる人間でいて欲しいと思います。



 
9 月 4 日(火) 

私が入っているMLで以前紹介されていて、心にひっかかった祈りの言葉を、ご紹介します。
余りに綺麗過ぎ&志しが高過ぎ&立派過ぎで、自分のような人間にはめちゃめちゃ不向きなような気もしつつ(笑)、自分について祈るなら、こんな気持ちを少しでももって祈れたらいいなぁ〜と思いました。
こんなふうに、最終的には自分の心の持ち方で自身を救おうとしていれば、願いどおりの結果は得られずとも、恨みがましい気持ちを抱いて苦しむことも少なくて済むんじゃないか・・、そこで凹み過ぎずにいられるんじゃないか・・。
う〜ん、それじゃー、ただ予防線はってるだけみたいでひどく後ろ向きみたいだけどーーー、
つまりは、希望を持ち続けられるだろう! ってことです。^^
実際には日頃から何かにつけ、もっとダイレクトに自分に都合のい〜い結果を得られるよう他力本願しまくっちゃってるんですがー(笑)
でもこの祈りの言葉を、心にとめておこうと思う。^^

祈るってことは、心をコントロールするための一つのテクニックとも言えるかもしれないな。
あ、そんなふうに言っちゃうと、みもふたもないかしら?(笑)


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 危険から守られることを祈るのではなく
 恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。

 痛みが鎮まることを祈るのではなく、
 痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。

 人生という戦場における盟友を求めるのではなく
 ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。

 恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく
 ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。

 成功の中にのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者でなく
 自分が失敗したときに
 あなたの手に握られていることを感じるような
 そんな人間になれますように。

ルビンドラナート・タゴール
 「果実採り」より

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 7 月 21 日(土) 

ここのところ久々に、新宿で呑む機会が2回ほど続きました。(田舎住まいなので、都心まではなかなか出ない。・・笑)
大昔、一人暮らしをしていた20代前半の頃、新宿の「三番街」という通りによく通っていた小さな飲み屋があり、ふと懐かしくなって、掲示板に「『三番街』を知っている人はいませんか?」と書いてみましたが、もう15年くらい前に区画整理によって消えてしまった通りなので、ご存じという方はやはり出ていらっしゃいませんでした。

三番街は、ゴールデン街のすぐ近くにあった飲み屋街で、小さくて、マニアックな雰囲気の店ばかりがギッシリ軒をつらねているその雰囲気はゴールデン街によく似ていました。ですが、もっと小さな通りで、当時からかなりマイナー。ゴールデン街は知っていても、三番街を知っている人は少なかったようです。
ゴールデン街も三番街も夕方頃になると、中身はお兄さんなんだけど綺麗にお化粧をしたお姉さんが、店の前に椅子を出して足を組んで座り、怪しくも優しい微笑でむかえてくれたり・・、早くも呑み出しているのか、昨日から呑み続けているのかは定かではないものの、アル中であることと最近お風呂に入ってないことは明らかな、それでいてご機嫌で人の良さそうなおじさんたちが花園神社あたりからフラフラ流れてきてニコニコ話し掛けてくれたり・・、今どきの若い男女のオシャレなデートスポットとは、およそかけ離れた独特のムードに満ちあふれていました。(笑)

その中で私が通いつめていたのは「ジャック・ド・シネマ」という名の、ぎゅうぎゅう詰め込んでも5人くらいの客が、カウンター席に一並びに座るのが精一杯の小さな小さな店でした。マスターがたいへんな映画マニアで、店内の壁もカウンターも昔の映画のチラシやプロマイドでいっぱい。その上を、ひんぱんにゴキブリがかけずり回っているのには参りましたが・・、とにかく、そのへんの居酒屋で飲むよりはるかに安かったので、極貧の一人暮らしをしていた当時の私にとっては、有り難いことこの上ない店でした。

何しろその頃の私は、電化製品はこたつしか所有していないという、当時でも貴重なほど超本格派のビンボー娘だったので(笑)、いつだって明日のおかずを買うのにも四苦八苦。お酒を飲むなんてことは、他力本願でいくしかあり得ないわけです。(爆)
「ジャック・ド・シネマ」には先輩がボトルを置いていて、好きな時に飲んでいいという了解を得ていたし、おつまみがなんともリーズナブルな上、マスターが私の懐具合を知っていて何かとオマケしてくれたため、週に1〜2回は夕飯を兼ねて、一人でもその店に通っていました。

アングラ芝居をやってる人、文学をやっている人、熱狂的過ぎて野球の話になるとすぐにケンカして店を追い出される阪神ファンの人(笑)や、半ホームレス的に暮らしながら政治運動に身を投じている若者、近所でうどん屋をやって何十年の口が悪くて有名なおばちゃん、音楽、あるいはカメラで世に出ようとしている人、アル中症状が深刻になってきてマスターに出入り禁止をくらっている人などなど。ここでは実に多彩なキャラクターの人々とたくさん出会えました。店が狭いので、知らない人同士でも気があえば一緒に呑みながら話していたりして、20代前半の若造だった私にとって「ジャック・ド・シネマ」の狭い空間は、とうてい自分には踏み込めない一面を残しながら、興味深い話題やつかみどころのない魅力のある人々にあふれて混沌とした、深い深い夜の世界でした。
また、大なり小なりスネに何がしかの傷を持つ人ばかりがふきだまっていたその空間は、流行りのオシャレにも旅行にもグルメにも全く興味が無く(かけるお金も無い・・笑)一般的な若い女の子の趣味指向から思いっきりズレてしまっていた当時の私にとって、とても心地良い、いわばアジール性のある場所だったのです。

本当に色んな人の、色んな人生があるなぁ。いざとなれば、何をやったって生きていけるんだなぁ。生きる道なんて、いくらでもあるんだ。道を踏み外した方が、わかることも多いんだ・・と、そんなことを教わったような・・、いや、誰も教えようなんて気はさらさらなかっただろうけど・・(笑) そういうことを初めて知った、少し切なくて濃厚で一生懸命だった、若い時代の思い出です。
その後、「ジャック・ド・シネマ」は、初めに書いたように区画整理によって通りそのものがつぶされてしまったので、六本木に店を移しました。でも、あの薄汚れた三番街の片隅にあった店こそが私にとっての「ジャック・ド・シネマ」であったので、六本木の店には結局一度も行っていません。
六本木のジャックなんて、まぶし過ぎて、なんだか悲しくて・・。
マスター、まだ、あの店やってるのかなぁ・・。




 
6 月 22 日(金)


下の日記を書いてから、1ケ月弱。
まだ、それしかたってないのか〜。なんか、もっと長い時間が経過してるような気がするなぁ〜。
( 日記の間隔としては、じゅーぶん長過ぎだっちゅーの。>まま・・笑 )

乳がん学会の件については、掲示板と特設ページの方でつい先日ようやくちょっと報告しましたが、やはりそのまま謎の医師Xが副会長の座におさまっちゃいました。
私としては、この人選は許されるものではなく悪影響も大きいと考え、意見書を提出したりしていたのですが、このキャスティングの結果は月日が経過してみないとわからないし、同じ仕事を見ても人それぞれによってその評価は違うので、この人選が正解だったか不正解だったかについての定かな結論なんて、よ〜っぽど極端な状況でも現れてこない限り、きっと無いようなものなのでしょう。
ひょっとして素晴らしい仕事をしてくださったらそれは結果オーライだし、とんでもなかったりしたら、今度は操縦席から引きずりおろす努力をしちゃわないとも限らない。(笑)
といってもそれ以前に、白い巨塔の内部は、残念ながら私などにはとーていかいまみることさえできないのが実情なんですけどね〜。
特設ページにも書きましたが、とりあえずはもう一度質問状を送って、敢えてこういう人選をしたことで、乳癌学会はどんなメリットを産み出そうとしているのか、ということまで、疑問を投げかけてみたいと思います。<また、反応ゼロかもしれへんけど〜。

この件では、私は実にささやかな可愛らしいアクションを起こしただけですが、多少大変なこともあるだろうと最初に予想していたとおり、DMのやりとり等でめっちゃ睡眠不足になった時期もありましたし(それでもバドはやっていた。・・爆)、いくらノーテンキな私とはいえ悩むことが無かったと言ったら大嘘になります。
が、ほっんとーに色々とすごくいい勉強になったし、たくさんの人と語り合い、とてもウレシイ素敵な人たちとの出会いもありました。
まんざら自己満足とも言い切れないじゃ〜ん! って人との関わりがあったり、そこで通じ合えたことに、手ごたえも感じられました。
たとえて言うなら・・、握っていたこぶしの中に、いつのまにかち〜さなダイヤモンドが入ってたみたいな感じ。^^

そして、そのダイヤモンドをときめかせてくれるテレビ番組に、私は昨日まで釘づけになっていました。
それは、NHK教育テレビで4夜連続で放送されたETV2001「シリーズ がん患者に学ぶ」。「がん患者学」の著者・柳原和子さんの取材をもとに制作された番組です。

患者の求めるものと医療の現実のズレ。その中でさまよいながら闘い続けた患者の、辛いけど・・、拍手を贈りたい闘病の軌跡。
医療の現実とのズレを埋め、患者が求める医療を患者自らが実現していくために、「キャンサー・サーバイバー」と呼ばれるアメリカのがん患者達が連帯しながら展開している様々な活動。
私たちサーバイバーには、こんな力があるのだという力強いメッセージ。
中でも、このシリーズ最後の昨日の放送の中であった、レイチェル・リーメン医師というとても素敵な初老の女性が、優しく静かに語った言葉には、いたくひきこまれました。

私の胸に見事に響いた部分を、かいつまんで書かせていただくと
「医療は、”治す”ことだけをただ一つの目的とするのでは、志が低過ぎる。
 治すことのできない病があるのが現実であるが、”治す”ことはできなくても”癒す”ことは可能。
 ”癒し”というのは、ホールネス(人間の全体性)、つまり、自分のあり得るべき姿に向かって歩んでいくこと。
 人間というのはその本質において、皆、ホールネスに向かって進んでいくものなのだ。
 病気を体験した人は、そのことで身体が弱ることがあっても、精神的に成長できることがある。それこそが”癒し”なのである。
 そして人々は、医療の専門家じゃなくても、自分のホールネスを高め、互いを支えあい、癒しあってきたのだ・・。」
といった内容。

「”ホールネス”に向かって、わずかでも進んでいる。」そう言葉で自覚してはいなくても、そんな充実感を心で感じることは”癒し”であると同時に、あらゆる人間にとっての”生き甲斐”なんじゃないかと思います。それが生きる力となるから”癒し”となるのでしょう。

同病者の訃報が入るたび、白がねのマジンガーZを含む医療の世界全体に、もっともっと強くなって! もっと思いやりがあって、もっとわかりあえて、もっと頼もしい、一緒に歩いていける存在に、頼むから一刻も早く育って! と祈りたいような気持ちになります。
それは、ほとんどの患者とその周囲の人々にとって切なる願いです。
そのためにできることを、ほーーんの小さなことでもやってみたいなと・・、
なんだか・・、ホントは小心者だからビクビクしながらも、、でも結局はけっこうでっかいこと語ってたりする気がしなくもないのだがぁ〜・・。

★この件についてのページは、乳がん学会新会長から回答をいただいた時点でトップページからリンクを解除しましたが、
 ここには、その記録を残しておこうと思います。



★ 乳がんの港・特別開設ページ ★

乳癌学会への問いかけ




 
5 月 28 日(月)


私は下の25日の日記で、現在異議をとなえている対象である乳癌学会を、マジンガーZにたとえました。(子供の頃、大好きだったもんで・・笑)
ここで、マジンガーZをご存じない人のために、喜んで解説させていただきますと♪
マジンガーZとはっ!?
世界制服をたくらむ悪の一味と闘うために、光子力研究所の所長である兜十蔵博士がつくりあげた巨大な超合金スーパーロボット!
兜博士は志し半ばにして悪の一味に暗殺されてしまったが、マジンガーZは、兜博士の孫である兜甲児をその頭にパイルダー・オン!!(頭の部分にある操縦席にのっけること)し、世界の平和を守るため、愛する人を守るため、あしゅら男爵操る悪者ロボット・機械獣と、今日も闘い続けるのであった!!(原作・永井豪)
下の日記で一部分替えて歌っている「
そ〜らに〜、そびえる〜、黒がねの城〜、スーパーロボットー、マジンガーZぉぉー!」は、水木一郎が歌うアニメ界の永遠の名曲!! マジンガーZの主題歌の出だし部分です。^^

では、白衣の医師たちの集まりである白がねの巨塔編マジンガーZとはどういうロボットであるかというと、その敵は、悪の化身ブレストキャンサー! つまり、私たちを乳癌から守り、救うためにつくられた巨大ロボットです。ただし、元祖マジンガーZとはか〜なり違う複雑な特徴が色々あり、その筆頭が、”白がねのマジンガーZは、たくさ〜んの人の色〜んな心を合わせ持っている”という点です。
とはいえ、私はこれが、あしゅら男爵の機械獣に見えちゃったからケンカしようとしてるわけじゃあ〜りま温泉。(笑)
今回の場合、この白がねのマジンガーZが、その操縦席である頭の部分に、兜甲児とは違い過ぎる人をパイルダー・オン!しちゃおうとしてるので、おばちゃん思わず、「ちょっと、ちょっと、その人のっけて操縦されちゃってええんかい!?? そりゃ、ちゃうやろー。」と、かみついてるのでございます。^^
ということで僭越ながら、願いをこめて、続きをワンフレーズだけ歌わせていただきますっ。
♪ 無敵の力はぼくらのためにぃー! 正義の心を、パイルダァァアオンッッ!! ♪ 

私は、自分のやってみてるほんのささやかな行動について、「これぞ正義で何もしないのは間違いだ!」とかなんとかみたいな、まさか、そぉ〜んなトンチンカンな妄想を抱いて誇大広告してるつもりは毛頭ありません。そんなん、めっちゃ恥ずかしいやん。(笑)
人前に出るのがイヤだからという理由で、結婚式も披露宴も断固拒否した過去を持つ私にとっては、みんなが見てるHP上で抗議の声をあげることだって、実は結構恥ずかしい・・。
でも、乳癌学会というマジンガーZの力は、あくまで乳がん患者のためにあるのであって欲しいし、私たち乳がん患者が悲しくなって免疫ダウンしちゃうような謎のドクターXを頭の操縦席にパイルダー・オンして欲しくないの。
マジンガーZは、もっとカッコよくなきゃヤダもん。


★★★ ゴメンナサイ!! 上の マジンガーZ についての解説の中に、間違いがありました〜! (^^;) ★★★

なぜそれがわかったかというと、このページを読んでくださったある方が大変なマジンガーZファンで、
私へのダイレクトメールで、ご遠慮なさりながらも こんなふうにそっと教えてくださったんです。^^

で、ですね、兜十蔵が「光子力研究所の所長」と
書いてありましたが、違うんです。
光子力研究所は弓博士が所長で、
十蔵は単独でZを作ったのです。
光子力研究所でつくったのはアフロダイAです。(弓さやかが乗るやつね)

いや〜、このメール、めちゃウケさせていただきました!!
マジンガーZへの愛を感じるじゃあ〜りま温泉! こーゆーマニアックなこだわり、大好きー・
ばらさん、ありがとうございました〜!(^○^)



 
5 月 25 日(金)

(下の日記の引用)
>それから今日まで、このHPを開設したことで色んなことがありましたが、
>開設1周年記念日の今日、掲示板をあけた途端目に飛び込んできたたくさんの方からのお祝いカキコに、
>思わずジワッ・・ときてしまいました。
>HPを開設して良かったなぁ・・・と、心はまだ素敵な余韻に包まれています。

あぁ、実に美しい光景だ。
しかし、その”素敵な余韻”にひたっていられたのはほんのつかの間・・・。
その2日後、ふと気づくと私は、クワがわりにラケットふりかざし、百姓一揆を起こそうとしておりました。(爆)
この意味は、トップページからいける「乳癌学会への問いかけ」というページをご覧いただければおわかりになると思います。
そして現在のところは、ラケットと並ぶ私の頼もしい武器となっているパソコンを抱えて、白い巨塔のドアをノックし「あのなー、おばちゃんなー、あんたらのやってること、ちーっとも理解できへんから、なんでそーなるのかようわかるよう、ちょっとここまで降りてきて教えてんか〜!?」と、ガンとばしながらからんでるところです。
しかし、超近代化ビルの白い巨塔は、そのてっぺんが雲の上に隠れちゃってるもんだから、どこまで大きいんだか想像もできないほどのデカさ!(推定・・マジンガーZ×10くらい)
それに対してこちらは、ほんの雑魚の卵にたかった蠅くらいの大きさ。(ドンキホーテ÷1000くらい??)
地べたから叫んでみたって、その声が届いて、相手にしえもらえて、マジンガーZに考え直してもらえる確率は・・・、う〜ん、ほぼ奇跡に近い? あ、ホンマに蠅なら飛べるけど。(笑)

でも、試合でしょっちゅう負けている私は、負け戦にはなれている!(←自慢にならない)
さらに、汗もかかないうちにラク〜に勝てる試合より、負けることがわかっていながらあがいてみた試合の方が、ケチョンパンにやられて思いっきりへこんだって得るものは大きい!ということを知っている。(←亀の功より年の功)
そして何より、これでなんとかできるだなんてとろけるように甘ぁ〜いスウィートドリームを見られるほどピュアな乙女心をもってるようには・・、ホラ、ねっ♪ とーてい見えないでしょ?(爆)
行動は身のほど知らずでも、身の丈をわかってないわけじゃないんです。
ですから、「この件で、うぃんままが自分の無力さを思い知って泣くことになるのではないか。」とご心配くださってる皆様、どうぞご心配なく。^^ 
正直言って今夜の私は、明日の子供会の遠足で、人様の大切なお子様方を牧場に放し飼いにした途端、どこかになくしちゃったり置き忘れちゃったりしてこないようにしなきゃぁぁ〜と、そのことの方が心配なの〜。(←二つのことを一遍には考えられないタイプ)

また、私があのページの制作にふみきったことについては、一つの、ある隠れた理由があります。
それは・・・、あの話を知ったのが、締切り日の翌日だったからだったりして!!(爆)(←事実)
いやホンマ、1週間前だったら仕事がもーガチガチにせっぱつまっておケツに火がついちゃってて、八甲田山にこもりっきりで泣きながら仕事してましたもん。(笑)

こういうことは、いろいろいろいろいろいろいろいろと複雑で難解。
ですが私なりに、いろいろいろいろいろいろいろいろと考えながら、私にできるわずぅ〜かばかりの抵抗をしてみたい。せめて問いかけくらいはしてみたいんですよ。ちっとばかし痛い目にあうことはあるだろうけどね〜。(←一杯はイヤ)
あの特別開設ページをつくるために、掲示板へのレスがすっかり亀さんになってしまいましたが、こういうことをしているからといって、このアジールになんら変わりはないことを、皆様、どうぞわかってくださいネ。^^ 
そぉ〜らに〜、そびえる〜、シロがねのしろぉぉ〜♪ ってかっ!

***


★ ちょっくらここで、前にバドの空・バド日めくりでご紹介した
私が大好きな山田太一さんの脚本の中の一文を載せておきたい。


「 生きるってことは、自分の中の、死んで行くものを、くいとめるってこったよ。
気を許しゃあ、すぐ魂も死んで行く。筋肉もほろんで行く。脳髄もおとろえる。
なにかを感じる力、人の不幸に涙を流す、なんてぇ能力もおとろえちまう。
それを、あの手この手をつかって、くいとめることよ。
それが生きるってことよ 」

ー 「早春スケッチブック」(大和書房)より抜粋 ー



 
5 月 21 日(月)

ただ今、23時49分。
今から書いて、今日中にアップできるか否か!?

今日中にアップしたいのは、今日がうぃんままのアジール開設記念日だからです。
厳密に言うと、今日はうぃんままのアジールをネット上にアップし、カウンターを付けてから1年目の記念日。
1年前の今日の時点でこのHPの存在を知っている人は、うちの夫と女性の友人2人の、計3人だけでした。
そして、ドキドきしながら一般公開したのが29日。
それから今日まで、このHPを開設したことで色んなことがありましたが、開設1周年記念日の今日、掲示板をあけた途端目に飛び込んできたたくさんの方からのお祝いカキコに、思わずジワッ・・ときてしまいました。
HPを開設して良かったなぁ・・・と、心はまだ素敵な余韻に包まれています。
皆様、本当にありがとうございます。
明日からも、うぃんままのアジールをどうぞヨロシクお願い致します!!


 
4 月 17 日(火)


4月7日〜9日まで2泊3日で金沢にいってきました。
いや〜〜、金沢は良かった〜! とっても心満たされるいい旅だったぁ〜。
今回、私が金沢まで出かけていったのたのは、4月8日の日曜日に開催された、乳がん患者のサポートグループ「BCSG石川」主催の「乳がん知ってますか?」という市民フォーラムに参加するためでした。そのイベントの前半が、ネットで知り合った親しい友人・そのちん=ヴォーカリストSONOEさんのライブになっていたので、仲間と一緒にその応援にかけつけることを約束し、去年からずっと楽しみにしていたんです♪

しかし・・・、いざその時が目の前に迫ってくると、なんか心配ーーーー。どれくらいの人がきてくれるだろう・・・。トチって途中で歌えなくなったりしないだろうか・・・。間のトークもスムーズにできるだろうか・・と、色んなことを想像し、ステージ開始数分前から心臓がバクバク状態。おまえが歌うわけじゃないやろ!>まま とは思いつつも、観客席が暗くなり、明るいステージの上にひきつった笑顔のそのちんが歩いてきた時には、こっちの仲間たちの顔はもっとひきつってたと思います。(爆)
でも、ステージが進みそのちんが調子に乗ってくるとこっちの緊張も徐々にほぐれてきて、私たちはいつのまにか、そのちんを応援している友人ではなく、SONOEの世界に引き込まれ、その歌とおしゃべりに聞き入っている観客と化していました。
「プ、プロだ・・! そのちんってば、スターじゃん! 心配する必要なんてなかったんだ。」つくづくそう思いました。
とはいえ、そのちんは乳がんという同じ病気を通して知り合った友人。共通する痛みや、一緒に楽しんだ思い出や、そして、共有しあえない悲しみもあり、それでも手を伸ばしつながっていきたい気持ちなどなど・・・。そのちんの歌とトークの中に色んな想いがよみがえってきて、より深く強く胸打たれてしまいました。一緒に観ていたみんながズルズル鼻すすりながら泣くから、なお参っちゃったやんけ!(笑)

がんの病期のことを”ステージ”と言います。早期とは言えない厳しさと不安のあるステージにいながら、あれだけ明るく前向きで心のこもったステージを披露してくれたそのちんは、歌うことのプロである以上に、素直にストレートに人の心を抱きしめてくれるあったかさがある。そこがすんげー素敵! 何食って育ったらあーゆーキャラに育つんやろ??(笑)
まさに、ステージに咲いた大輪の華でした!! すんごくカッコよかったよー!! 拍手!!!

そして金沢で堪能してきたもう一つの華。それが桜です。
桜はここ数年で、ちょっくら思い入れの深い花になっているんですが、今年は金沢で、それは見事に美しい桜をたっぷり観てまわることができました。
泊まった宿の前を流れるさい川沿いに並ぶ桜も、まさに見ごろの時に訪れることができた兼六園の桜も、風雪に耐えてきた年月の長さを感じさせる古木の味わいが格別。命のエネルギーと魂を感じさせる、深い美しさがありました。
しかし、そんな素晴らしい桜に見とれながらも、わたあめ、花見だんご、こしひかりアイス、生ビール、納豆餅(しかも2個)と欲望のままに食べまくっていたこと・・、風情台なしだけど白状しておきます。(爆)

さらに、この旅で得られたもう一つの収穫。
それは金沢の「ふたば乳せんクリニック」を見学させてもらえたことです。
”すごく素敵な病院”と聞いてはいたものの、聞きしに勝る綺麗さと快適さ! リゾートのプチホテルそのものの建物・インテリアの中に、乳がんの手術をする人・した人のための細かな心配りが随所に感じられました。
でも私が一番ショックを受けたのは、患者が与えてもらえる情報の豊富さでした。癌関係の様々な本や雑誌、院長先生お手製のたくさんのプリント等々、当面知りたい情報が、これほど充分揃えられていたら、”わからない”という不安に怯える患者たちはどれほど心強いでしょう。医療の現場ではとかく、医師は忙しくて一人ひとりの患者に専門的な説明をする時間が長く持てない、という現実がありますが、こんなふうに必要な情報を自由に入手できるようにしておけば、そういう問題もかなりクリアできるはず。
病院がやれることは、本当に、もっともっともーーっとある・・・。そう痛感させられました。

末筆ながら、素晴らしい病院を見学させてくださった谷屋先生、ちろさん、ありがとうございました!!
あの市民フォーラムを開催してくださった「BCSG石川」の皆様も、本当に有難うございました!!

皆様とそのちんの熱いハートと努力に、感謝を込めて。


賞賛されるためでなく、
実りのために咲ききった花たちの
見事なまでの美しさ。

夢の実を結ぶために
ひたむきに生きるひとには
桜の花のような美しさがあります。
凛として強く輝いて。


 
3 月 20 日(火)

スピッツの「楓」という歌が前から好きだったのですが、去年の今日からこの歌は私にとって、ある女性のテーマソングになっています。

   
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
   ああ 僕のままで どこまで届くだろう

   これから 傷ついたり 誰か傷つけても
   ああ 僕のままで どこまで届くだろう

   瞬きするほど長い季節が来て
   呼び合う名前がこだまし始める
   聴こえる?

私はその人と会ったこともないのに、その人から大切なものをもらったと思っています。HPづくりに重い腰をあげたきっかけも。
あれからもう1年たったのかと、今日は一人こっそり、繰り返し、この曲を聴いていました。
あともう少しで桜の季節。


 
3 月 1 日(木)

テレビドラマのラストシーンなどに、色んな辛い恋や別れを乗り越えた主人公が、すべてをふりきったように颯爽と街を歩くシーンがよくありますが、私はあれを見るといつも「人間、そんなにスッキリスカッと、わりきって生きていけるもんやないやろ〜、」と思ってしまいます。相手はドラマなのにね。(笑)
若いころ、「人間、潔さが肝心だ!」というある人の口癖に憧れ、自分もそんなふうに強くありたいと願っていました。でも、今では迷うこととか・・、明らかな答えはつかめなくても探し、あがき続けてていいんじゃないだろうか、その方が本当なんじゃないかと思うようになっています。息絶える日まで続いていく毎日は、はっきりとした結末もなく、完全な勝利や完全な敗北なんてなく、挫折と喜びを繰り返し流れながらつながっていきますから。

だいぶ昔、私が大好きな作家である山田太一さんが、こんなことを書いておられました。
「たとえばバスに乗っていて、座っている自分の前に老人が立った時、『どうぞ!』と堂々と胸をはって爽やかに席を譲れる若者より、譲ればいいのかどうしようか心の中でオロオロしてなかなか席を立てず、そういう自分に自己嫌悪を感じている若者の方に、よりシンパシーを感じてしまうところが自分にはある。」
身体の辛そうな方がいらっしゃったら、モチロンすぐにサッと席を譲ってさしあげることは大切で、多少長く生きてきた今の私は昔ほどドキマギせずにそれができるようになっていますが、山田太一さんの気持ち、わかるなぁと思います。そして、そういうチョットした人の弱さに向ける眼差しの繊細な優しさが好きです。

先日、このHPでレギュラー化しているありがたいお客様、なおゾウさんとわらびままさんが、フリー掲示板の中でこんな詩を紹介してくれました。


「 祝婚歌 」  吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいる方がいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかがふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい
立派でありたいとか正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったりゆたかに
光をあびているほうがいい
健康で  風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと  胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい


この
祝婚歌は、たくさんの人をギクッとさせたようで掲示板の中で色んな人が感想を寄せてくれました。夫婦の間はもちろんのこと、あらゆる人と人の間に必要な心の持ちようがこめられている気がします。私にとっても非常に耳の痛い内容だったので、言の葉の山の中に残させていただきました。なおゾウさん、いいよね?^^
2月28日、このHPはお陰様で30,000HITを越えました。皆様、本当にいつもありがとう。こんな小さなHPを自分の好きでやってるだけなのに、考えこんじゃうこともたびたびあったりするんですが、30,000HIT達成の節目にこの詩を心にとめ、あれこれズッコケたり、たまにへこんだりしつつも、ささやかな気持ちを込めながら続けていけるといいなぁと思っています。

そして、ここで記しておきたい詩が、もう一つ。
NYリハビリテーション研究所の壁に一患者が書き残した詩で、もともとの作者は、J・ロジャー・ルーシーという神父さんだそうです。
この詩もまた私に響いたように、ここで出会った誰かの心にとまり、ゆっくり時間をかけて満たしてくれることがあるのではないかと・・。



大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 
弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 
病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 
失敗を授かった

人生を享楽しようとて
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めた物は1つとして
与えられなかったが
願いは すべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者
であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ




 
2 月 16 日(金)


ウカウカ生きてきたら、早くも本日、無事40才になりました。(笑)
ここの掲示板でもたくさんのネット仲間がお祝いしてくださって、と〜ってもあったかい気持ちにさせてもらってます。皆様、ホンマおおきに〜! 感謝してます。

西洋では、40才というこの年齢を”
Over the hill”と表現するらしく、日本では不惑の四十とかいいますが、不惑だなんてそんな滅相もございません。(笑)人生の折り返し地点をむかえ、男も女も自分の人生はこれで良かったのだろうか、この先もこのままで良いのだろうかと立ち止まり、迷い、これからまた一つ遠い丘を乗り越えていく年代のような気がします。それはきっと、50才になる時も同じなんじゃないかなぁ。
子供の頃は、40才なんていうと老後を生きてる人みたいなイメージがありましたが(笑)、今となってみるとまだまだ老け込んでる場合じゃないし、かといって、30才になった頃のように、なんだかちっとも成長しないまま三十路に突入しちゃっていいのだろうか・・、という焦燥感もそれほど感じていません。(しっかり成長できたわけじゃないのだが・・笑)20才になった頃は、理想ばかり大きく進むべき道を探して突っ走っていたけど、経験も貯えてきた力も何もなく、それこそ不安で苦しい時代でした。
こうふりかえってみると、私の場合は、40才をむかえた今が一番穏やかに自分の年齢を受け入れられているかもしれません。自分の性分に合った年代にようやく到達できた〜、とまで言うと、ちょっと負け惜しみ入っちゃう感じですが。(笑)

思えば10代、20代の頃は、それまでのあらゆることを否定し壊すことから全てが始まりました。親や学校や世間が築いた目に見えぬ枠を壊し、そこから飛び出すことによって、初めて目の前に新しい道が開け、自分の人生を生きているという実感をつかむことができました。でも当時の私は、喜びを喜びと感じることや人の単純な善意の中にも、偽善の匂いをさぐったり、所詮綺麗ごとだとすぐにたかをくくっては嘲ってみたり、何にでもまずは否定するための種をみつけていたようなところがあったと思います。う〜ん、典型的に小生意気で嫌味なガキ。(爆)
でも、そういう壊すことで道を開拓していた時代を通り過ぎてだーいぶ経ってみると、今度はいつのまにか、受け入れることで世界が豊かに広がる時代がめぐってきていたように感じています。
大人になるってのは、色んな物事、色んな考え方、色んな人の想いを、より受け入れられるようになるってことなのかもしれないな〜、私ももっと大人になりたいな〜、ぬぁーんて、大人になってから既に20年も経過しちゃってるんですけど(爆)今頃そんなこと思ったりしてるウラ若き40才を、これからもヨロシクねっ!



 
1 月 31 日(水)


下の日記で、掲示板へのカキコについて書いた途端、昨日、ちょっとした出来事がありました。
ここで自分が首をつっこんで意見したら、必ず誰かを不愉快にし自分も痛い思いをする。それがじゅーーーぶんわかっていても無視できない。素通りできない。そういうことと出くわすことって、時折りありますよね。

昨日、ふと立ち寄ったあるHPのゲストブックの中で、「障害をもっていますが、スポーツできる環境を探しています。」というある方のカキコに対し、一人の方が「人間関係を築くために、障害があることは言わないでおいた方がいいです。」という、とんでもないアドバイスをしているのをみつけてしまいました。その発言に対し、今後も誰からもなんの反論も出ないとしたら、そうアドバイスされた方は、それが世間の大方の意見であるかのようにとられてしまうかもしれないし、とにかくそのまま見過ごすことはできませんでした。
簡単に言えば、ムカついてしまったわけ。(笑)
でも、いろいろ考えて、私は極力感情をおさえ、「悪いことをしたわけでも、恥ずかしいことでもないのだから、障害を隠す必要はありません。ご本人の自由です。私はがん患者ですが、それを隠せと言われたら非常に悲しいです。」とカキコしました。それに続き、同様の意見の人が数人カキコされましたが、それらのカキコへのその人のレスは、「現実は甘くない。病気も隠すべき。これが本音。」というものでした。
そして、この一連のやりとりを読んでいたく心を傷めている、また別の方のカキコがあったので、私は自分が刺激したことによって、一層人を傷つける言葉をひきずり出してしまったという失敗を悔い、それ以上は一切、そこにカキコするのをやめました。
でも、反論したことは悔いていません。そして今、本当はこう書きたい。
(そのゲストブックに書いた内容と、一部ダブっています。)

確かに甘くない現実もあります。でも、その現実の世界は、若いあなたや未熟な私が思うより、本当はもっともっとずっと広い。その広い世の中に出てみれば、障害者も病気の人もいくらでもいます。珍しいことでもなんでもありません。人種も文化も思想も宗教観も暮らしも抱えている喜びも悲しみも障害も病気も、十人十色なのが人間なのです。多様な人間たちが多様なままに受け入れ合い、互いの違いから学びあっていくのが人間だと思います。
小さな私たちの小さな小さなものさしを基準にして、現実はこんなもの、人の本音はこんなものだからこうした方がいいと、閉塞した生き方を人に勧めるのは愚かしいことです。広い世界には、もっと色んな考えを持つ人が生きているんですから。
世の中には残酷な現実も氾濫しているけれど、素晴らしい今も溢れている。これまで全く出会ったことのなかったような心豊かなものの考え方もたくさんあれば、人も動物も、あらゆる生き物の命や魂を大切に慈しみながら慎ましく生きる人たちもいらっしゃいます。なのに、小さなものさしの中に閉じこもってこの世界にたかをくくってたら、自分しか見えない。それが自分にとっての現実のすべてになってしまう。
もう少し広い世界に目を向けてみれば、私たち一人ひとりはいかにちっぽけな存在であるか、つまりは、世の中には自分の知らなかったもっともっと豊かで大らかな魂が息づいていることに、気付けるかもしれません。

この件について、いわば私の陣地内であるこの中でふれることは正直いいのか悪いのか、迷うところなんですが、私にできることって、とりあえずここに書くことだけなんですよね、今のところ。
それにこう書いていくと、昨日の事だってホンマちっぽけなことなんですよね〜。
< 自己暗示かいっ!?(爆)
あ、でも、こだわった点は大切!! 譲れません。
<狷介なるおばはん道、まっしぐら!(笑)



 
1 月 26 日(金)                

前世は、一日のほとんどを木の上でボーッと過ごしていた素敵な”ナマケモノ”だったような気がする私は、お尻を叩かれないと仕事ができません。そういう自分を、これでいいと思っているわけではなく、というより、こんなんじゃいけないと、時間的に追い込まれてくればくるほど、非常に深く反省しています。
特に締切り時間が迫ってくると、涙ながらに壮絶に反省し、仏のように慈悲深く広い心を持つ仕事先の方に許しを請うこともたまにあります。でも、今年はそんなことがないように、もっときちんと自己管理していきたいと胆に命じております。
・・と、けなげにいっぱい反省していたら、すでに結構がんばって仕事したような気分になってきました。ひと仕事片付けたあとの心地良い疲労感さえ感じるので、今日のところはもうこのへんで、お座敷きをこちらに移動させていただくことにします。(爆)
(○○○さん、読んでたりする・・? やだなー、すぐに元のお座敷きに戻るからぁ、読んでたとしても”励まし”の電話はまだいいですからねー!・・爆)

私はネットサーフィンし始めた当初から、人の掲示板にあれこれカキコするのが好きでした。内容は、サイテーな下ネタから(笑)、なかなかマジメな話題までなんでも。
でも、「こんなこと書いたら、読む人が重いだろうなー。掲示板が暗くなっちゃって迷惑だろうなーー」と思いとどまり、遠慮したことはこれまでに数知れず、そんなふうに書けないできたことの集積が、このHPのベースを成してると言えるかもしれません。

とはいえ、自分のHPだからといって、遠慮ゼロで自由に展開しているかというと、そうとはいえず、来訪者に不快感を与えてしまいはしないかと迷いながら書くこともちょこちょこあります。
下の2日間の日記も、なんだかちょっとえらそうに語っちゃってるし、「押し付けがましい気もするなーー、こんなんでいいかなーー」と思いつつアップしてました。
しかし意外にも、あの内容については、皆様がいろいろご意見、ご感想を掲示板にカキコしてくださり、そのおかげで「読む人の気持ちは考えきゃいけないけど、もっと自由に書いちゃっていいかもー。」と自信を与えてもらえてうれしかったです。皆様、ありがとうございます。

また、自分がHPの管理人という立場になってからよく思うのですが、私のHPの掲示板にカキコしようとして、
「こんなこと書いたら、読む人が重いだろうなー。掲示板が暗くなっちゃって迷惑だろうなーー。」
と、昔、私がよくやっていたように、ホントは書き込んでみたいのに管理人への遠慮だけで思いとどまり我慢することがあったとしたら、どーかホンマお気づかいなく〜。この場でよろしければ、バリバリに明るくはじけたい気持ちも、切なかったり苦しかったりする気持ちも、自由にカキコしちゃってってください。^^
たとえば、ケガして大好きなバドがしばらくできなくなったり、乳がんになって戸惑いながら情報収集してたら、そりゃ暗くなることがあっても当たり前ー。暗い時があったっていーじゃん、いーじゃん。明るいことが善で、暗いことは悪、ってわけじゃないんだもん、と思っています。
ましてや、自分の殻に閉じこもり鬱々としている状況も、問題から逃げずそこで悩み考えている状況も、すべてただ「暗い」というあやふやな一言でマイナス視し排除してしまうのは、私からみればそれこそちょっと空しい。

アジールの3つの掲示板は全て、こうあればいいなぁ。
書きたい時は、書きたいことを、心のままに♪
とかいっても、それってなかなかむずかしいんですけどね〜。(笑)




 
1 月 19 日(金)                

先日、仲間内でしゃべっていた時に、ある人がこう言いました。
「インターネットとかHPなんて、ただ文章書いたりするだけで空しいじゃないですか。そう思いませんか?」
こういった言葉を耳にすることはしばしばあるのだけれど、私にとっては、簡単に一言ではリアクションしがたい質問です。
というのは、この質問というか意見は、余りにも漠然としていてとりとめがないというか・・、そもそも、インターネットとはあくまでもツールとしての通信システムであることをどこか誤解しているようなところが感じられる・・。
言ってみれば、「電話なんて空しくないですか?」と問われたような質問だったからです。

自分の家に初めて電話がついたのは、小学校2年生の時でした。生まれた時から電話があって当たり前、いや、すでに一人に一台の携帯があって当たり前になっている今の若い人たちにとっては、”小学校2年生まで家に電話がなかった。”というのは、大昔の話みたいに聞こえるかもしれませんね。(笑)
うちは電話を取り付けるのが早い方ではなかったけれど、世の中ではそれからもしばらく「電話の功罪」についての議論がされていた記憶があります。電話が普及することのデメリットとして挙げられていたのは、わざわざ足を運んで人に会いにいかなくなってしまったり、相手の顔も見えぬまま話を交わす電話を使うことによって、人間同士のコミュニケーションが希薄になったとか、手もとに想い出として形が残る手紙のやりとりが減ってしまって空しい、侘びしい、などといったこと。
もちろん、それはそれで一理あります。しかし、電話があるということがすでにこれだけ当たり前となった今となっては、人とのふれあいを拒絶して暮らすハイジと出会う前のおんじのような人とか、締切り日なのにHPの更新してて仕事が全然終わっておらず催促の電話におびえてたりする人でない限り(笑)、とりたてて「電話なんて空しいものだ!」と思っている人は少ないでしょう。
そして、たとえば恋人同士の場合でも、実際に会って話してベッドも共にしたけれど(きゃ〜♪・・爆)、結局おざなりのことしか語りあえなくて空しかった、でも、そのあとにかかってきた1本の電話でやっと素直な気持ちを伝えあえて、とても幸せだった、なんてことはいくらでもありますよね。

そういえばつい最近、チャットで知り合った男女の殺人事件なんていうのも起こりましたが、これも殺人という忌わしい出来事が起きた原因を、チャットというシステムのせいだけにしてしまってはいけないのは、言うまでもありません。
確かにネット上のつながりは、相手の顔も声もわからず文章だけでお互いに気軽に出会い会話し、実際のかかわりあいが無い分、安易に優しいことばかりを言い合うことも可能。急速に親しくなりがら相手の人間像をかなり誤解して捉え幻想を抱くことも多い。そして同時に、実際に会った途端にそれが打ち砕かれてしまったというような人と人との出会い方のシチュエーションを増大させました。
また、インターネットをしているということで広く世の中と通じているような安心感を得てしまい、実際には閉ざされた一人の世界に閉じこもってしまう人もいます。この傾向には、ネットにハマった人はすべからく気をつけなきゃいけませんね〜、私自身も。(笑)
しかし一方では、難病で手も足も動かず語ることも叶わないのだが、かろうじてそこだけ動く目をつかって文字を追い、パソコン上で言葉にし、ほとんど一歩も出られない自分の部屋のパソコンという小さな窓から人の胸を打つメッセージを発信し、多くの人々と心通わせている人もいます。
パソコンを通してのその人と他者とのかかわり方は、数年前には考えられなかったものだからと言って、それは決して電脳世界の幻ではありません。どういう形でコミュニケーションするにしろ、人と人とが本当に真摯に向き合おうとすれば、そこには本物の交流が生まれるでしょうし、いかに実際に肌ふれあい目を見つめながら語りあっても、心から発露した素直な感情を表現できなければ、互いの魂が響きあうことはないでしょう。

つまり、インターネット、あるいはパソコンでもいいけれど、利用することがいいか悪いか、所詮空しいものであるのかどうかを議論するのは、少し論点がずれている。議論すべきなのは、それを”いかに利用するか”ということだと思います。
空しいと感じるその根源は、電話やパソコン、インターネットなど、道具やシステムそのものにあるのではなく、それを利用する人の使い方や状況にある。電話もインターネットも、使い方や状況によって空しく感じることもあれば、心を豊かに満たしてくれることもあります。
HPにしてもそうです。
目的や意味を見失ってやる気をなくしてしまえば、HPを開設していることは空しい。でも、何か表現したいものや、伝えたいことがあって、それを画像や文章という形にし、見てくれた人から何がしかの手応えがかえってきたり、人の輪が広がっていったりすると、それは管理人名利につきる喜びであるし、生きている世界を大きく広げてくれたりもします。

そしてまた別の角度から言えば、世の中には色んな人の、色んな充実感があります。
ボランティアで人に喜ばれたことで大きな幸福感に満たされる人もいれば、仕事がうまくいくことが何よりウレシイ人もいる。大して参加者のいない小さなバドミントン大会で優勝できたことで、オリンピックで金メダル取った人にも負けないくらいの達成感を感じられる人なんてのもいます。<はい、私のことでございます。(笑)
また、日がな一日ろくろを回して、売れるわけではなくても納得のいく陶器ができればしみじみと満足できる人もいるでしょうし、家族が今日もみんな元気で帰ってきて、素敵な味に仕上がった夕飯のビーフシチューを一緒に食べられることに心からの幸せをかみしめる人もいます。
私個人のこのHPに関して言えば、表現したいことをそこそこわかってもらえそうな文章にできて、誰かが読んでくれるかもしれないというだけでウレシイという、ささやかな充実感があるので、「HPなんて空しい。」と思ったことは一度もありません、今のところ。(笑)
それらはそれぞれ、他の誰かから見れば「そんなことで喜んでいるなんて、なんとちっぽけで空しいんだろう。」と思われてしまうようなことかもしれません。でも、当人がそのことによって喜びを感じるのは何か誤解しているわけでも間違っているわけでもなく、事実であり現状なのです。その喜びを否定することは、誰にもできないわけです。

ともかく、一番単純な結論としては、どんな物事であってもそれをどう活かせるか、喜びを見い出すか否かはその人次第であり、人それぞれ。そこに喜びを見つけた人はそれを楽しめるし、でなければ楽しくも何ともないから空しい。ただそういうことだと思います。

だぁーーー、こんなに長くなっちまったぜー。
この日記、こんなでいいのだろうか?(笑)









 
1 月 17 日(水)                

うちの母は昔から非常に信仰厚い仏教徒で、いつも祈っていました。
「神様にお祈りしなさい。」が口癖のような人で、私は、自分と家族の幸せを”神様にお願いすること”、それこそが”祈り”であると思いこんでいました。
しかし、なぜかしら私はすっかり無信心な人間へと成長してしまい、現在信仰はもっていません。とはいえ、万能の神はともかく、霊的なものを何も信じていないわけではないため、祈ることは多々あります。心を込めて。

どなただったか忘れてしまったけど、あるクリスチャンの、
「祈りというのは”神様へのお願いごと”ではなく、神の声を聞こうとする行為である。」というような意味の言葉を見つけ、とても納得できたことがあります。
私は、イエス・キリストの声を聞こうとしているわけではないけれど、祈りとは、何かと魂と魂で感応し合おうとしたり、静かに解き放つことで言葉にならない想いを浄化するようなこと。心を澄ませ、邪念を追い払うことで強くなろうとすることかもしれない、という気がしています。
ある人について祈るということは、その人を想いながら、その人の心を知ろうとすることであったり、その人への愛情を発信すること。自分について祈るということは、こうありたいと望んでいる自分とはどういう自分かを探り、出会おうとしていること。
今の私にとっての祈りとは、そんなところがあります。
もちろん、神社仏閣を訪れて、家族の健康から「バドミントンが上手くなりますように。」なんてことまで、色〜んな都合のいい”お願い事”をすることもよくありますが。(笑)

今日、ここで”祈る”ということについて書き始めたのは、今日1月17日が阪神大震災が起きた日だからです。
当時から千葉に住んでいた私はあの震災を体験していませんが、西ノ宮で一人暮らしをしていた高齢の伯母の家が全壊してしまったもので、姉と一緒にその後片付けに行きました。
小さな頃からよく遊びに行っていて、とても想い出深かったその家は、かろうじて建ってはいたものの全体に大きくねじれ、壁は崩れ落ち、階段の途中からはふきっさらし状態。部屋の中はめちゃめちゃになっていました。
伯母は大したケガもしないで済んだものの、あの震災をきっかけにすっかり体調を崩し、おととし亡くなりました。地震が直接の原因で亡くなった人の他に、伯母のように、あの震災で人生を大きく変えられてしまい亡くなっていった人も数知れないことでしょう。

この震災について、北野武が「5千人が一度に亡くなった事例が1回おきたのではない。1人ひとりが亡くなった事例が5千回連続して起きたのだ。」と語ったそうですが、まさにそうだったんですよね。(この5千という数字は震災直後の報道によるものであり、実際には、震災により直接的な被害によって亡くなった方は6千人を越えたとのこと。)
震災は、被災した多くの方々に同時にふりかかり、同じ地域で多くの方がほぼ同時に亡くなった。それを直接体験せず、遠くからテレビ等の報道によって知った私たちは、ともすれば、そこで亡くなった人たちの死を”巨大な一つの死”でもあるかのように一くくりにしてイメージしてとらえてしまいがちです。でも本当は、世界にたった一つのかけがえのない人の命が、残酷に失われた事例が5千回連続して起きたという、ものすごい事実だった。当然のことながら、被災された一人ひとり、そのすべてに、それぞれの無念や苦しさや別れなど、やるせない震災での物語りがあったのですよね。

私は今日、子供の頃にさんざんお世話になった一人の伯母さんとの想い出をあれこれ想いおこしながら、せめてこんなことを書き、そしてしばし祈ろうと思います。






 
1 月 15 日(月)                

ようやく文字サイズなど、気になっていたところを直し始めました。
そういうことを始めると、「うぃんままのアジール」のタイトル周りとか、その他にも色々とデザインをリニューアルしたくなってきたりし始めるんですが、今、そういうことを始めちゃうと、中身の更新がさらに遅くなっちゃうんで、そこらへんはなんとか我慢しなきゃーとブレーキ、ブレーキ・・。(笑)
この「言の葉の山」も、レンタル日記帳にすれば書くのがもっと簡単になるので、その点もだいぶ迷ったのですが、そうすると、このアジールの中でそこだけ急に異質な空間になってしまいそうで、今のところはやはりこのままでいこうかと思っています。このHP、デザイン性は大してないんですが(笑)、全体の統一性にだけは、実はちょっとこだわってたりするのです。

HPって、ガーデニングみたいな所があると思うんですが、というのは例えば・・、
主にデザインや写真等で楽しませてくれてるページは、お花の飾り方とか生け垣とかに凝っていて、季節感あふれる鑑賞型の庭。人に役立って、利用できるコンテンツを載せている人は、家庭菜園型で、そこで作った野菜を自由に食べさせてあげている。来てくれた人と一緒に遊びましょうと、庭にゲームできるコーナーとかを設けている人はホームパーティ型。それらを色々兼ね備えてる多彩なページも多いですね。
私のページはというと、家庭菜園型というほど使える(食べられる)コンテンツはないし、鑑賞型にはだいぶ遠い。(笑)でも、気持ちとしてはハーブとかを植えて、ほのかな”香り”などを楽しんでもらったり感じてもらえたらいいな〜、と思っています。

そして、ちょっと生意気なことを言うようで恐縮なんですけど、私がこのHPに植えるひとつひとつにこだわっているのは、品数ではなく、それぞれの香りの個性です。
映画や本のページなどは、コンテンツに掲げているわりには、開設して8ケ月近くたってもナントまだ2作品ずつという超ローペース。(笑)その言い訳をするわけではないのですが、私はあのページで、映画や本を”色々たくさん”紹介するのではなく、一つずつの作品に対する自分なりの思い入れを込めたいんですよね〜。取り上げたいのは思い入れやこだわりの深い作品だから、簡単お手軽には書いてしまいたくないという気持ちがあります。う〜ん、そーとー自己満足の世界かも〜。これはともすれば、香りじゃなくて、”匂い(プゥ〜ン・・爆)”になってしまいがちだから、気をつけなきゃな!(笑)

そういえば以前、「うぃんままさんのHPは、バドミントンがメインですよね?」と人に言われて、つい「はい。」と言ってしまったことがあるのですが、このHPの顔という意味では「バドの空」と「乳がんの港」の両方。両方とも大事。どちらかがメインというわけではなく、2本柱のつもりです。^^
そして、どのページを書くのが好きかということになると、実は映画や本のページも好きで、本当はあっちももっと更新したいんですよね〜〜。でも、今はまだ、メニューを決めて広げたお皿のすべてには料理が乗ってない状態なので、まずはそれを片付けてからだな〜。
そうそう、一番何でも自由に書きまくれるのはここだから、ここも好きです。
あ? これはひょっとして、一種の親バカ状態?? いや、「うちの子は良くできた子や。」って思ってるわけじゃなく、「うちの子アホやけど、育てるのはなかなか楽しいんですわ〜。」って思ってるわけだから、やっぱり違いますよね〜。(笑)




 
1 月 12 日(金)                

新年となりましたので、この「言の葉の山」のページも3枚目へとうつしかえました。
それと同時に、文字サイズも一段階大きくすることにしました。
しかし、文字サイズを大きくした方が良いのはここだけじゃない上、レイアウトがズレこんで妙な所で改行されちゃってるのに、直してない部分はあちこちに。そういう部分に気づいていながら面倒がって直さないでいるというのは、来訪してくださる方々に対して失礼やないけーー!と思いつつ、結局放置したままで早8ケ月・・・・。
生ものだったら、とっくのとーに腐っちゃって、大地にかえっちゃってる頃ですわ。えー加減、はよ直せよ!>まま 
ゴ、ゴメンナサイっ! だって、だって、そういう几帳面な細かい仕事と算数とシイタケだけは、どーしてもニガテなのっ。(実は他にももっとある・・)<と、ちょっくら一人芝居。(爆)

そういえば、そろそろ「新年」なんて言ってられなくなりましたが、この日記のページは、新年初めての更新なもので、そこらへんはフレキシブルってことでご挨拶させていただきましょう。

あけまして、おめでとうございます! って・・・、こういうのはマイペースとは言いませんよね。(笑)

日本では今年から21世紀ってことになってますが、なんでも西欧では、2,000年から21世紀としている所が多いんだとか。
私個人としては、このHPを開設した時から新世紀が始まったような・・、というか、始められたような気持ちでいます。
私の日々の中に、確かに開いた新しい一つの窓。
どこかで、同じこの窓を開いてくださっているそこのあなた様、今年もどうぞ、ヨロシクお願い致します!



 
1 月 1 日(月)〜 1 月 6 日(土) 北海道行きのこと                

我が家では毎年1回は、夫の実家の北海道に家族そろって帰省しています。
いつもは大概、夏にいっているのですが、昨年の夏は生意気にもグァム旅行に出かけ、夫の休暇と帰省のための軍資金を使い果たしてしまったので、北海道行きはところてん方式に押し出され、今年の冬にズレこみました。
冬の北海道に行ったのは、もう5年ぶりくらいのことです。
そして元旦から出かけた北海道石狩当別は、圧巻!!というほどものすごい雪景色・・。私からすると雪の中に街が埋まっているような感じです。いや、それよりも、街全体が雪に包みこまれているよう・・、とかなんとかいうのは、そこで暮らしてない人間の甘っちょろぉ〜い幻想なんですけどね。(笑)
とはいえ、見慣れていない者にとって、あの銀世界は素晴らしく美しい。
その美しさの、ほんのかけらだけでもと、ヘタクソな写真を撮りましたのでチョビットだけ紹介させていただきますね。


〜 当別の冬 〜 


 

 

 
制作途中のかまくらに無理やり入ってる息子。                       


北海道でのスキーの話。

夫の実家から車なら5分もあれば充分行ける所にスキー場があります。
でも、私はこれまでスキーには全く無関心で、冬に北海道に行っても、そこではソリしかやったことがありませんでした。
無関心というより、若い頃、ローラースケート命だった(水道橋後楽園のローラースケート友の会に入っていた・・・爆)私にとって、同じ”滑る系スポーツ”であるスキーは、一度味をしめたら思いきりハマってしまって厄介なことになりそうだから、あえて近寄らないでいたスポーツだったんです。(お金がかかるからできないという理由もあった。・・笑)

しかし、5年生のうちの息子が、今年の2月に学校のホワイトスクール(スキー体験学習)を控えているため、今年の冬は初めて、親子でスキーをやってみることにしました。ちょっぴり運動神経が心もとないっつーか、イマイチ無いっつーか、かなりヤバイ(爆)息子を持って、ホワイトスクールが非常に心配な母親としては、その前にほんの少しだけでもスキーに慣れさせておきたいと思ったわけです。母心でんな、過保護やけど。(笑)
というわけで、北海道育ちでもともとスキーは得意な夫に教わりながらやってみると、これはっっ!! めっちゃ、オモロイやないけっ!!!
スケートだと平らな所を歩くだけでも最初はツルツルして大変だけど、スキーはストックもあるからスケートにくらべると初心者にとっては楽で、特にいいのは、転んでも下が雪だから痛くないんですよね。
登り方とか(横向きにしか登れないが・・笑)、ボーゲンとか、少しずつできるようになってくるとすっかり夢中になってしまい、夫や息子が帰ろうと言っても「まだ帰らないーー!」と駄々をこねてた無気味なおばはんは私です。けなげな母心は一体どこへ。(爆)

スキー2回目の時は、スキースクールのコーチをしているという夫の同級生のOさんが、わざわざ教えにきてくださいました。
さ〜すがプロ! とても上手に教えてくださったので息子も多少ながらコツがつかめたようで、ちょっとした坂ならなかなか上手に滑れるようになりました。(リフトまでは乗れませんでしたけど。)
0さん、あの日はホントに有難うございました〜!! 1回目から0さんに教わってたら、すんごい滑れるようになってた気がするんだけどなーー。(笑)
また機会があったら、スキー教えてくださいね!

うぃんまま、下心の一句。(笑)

「 これからは 冬に行きたい 北海道♪ 」   


北海道でもバドの話。(笑)・・1月4日(木)札幌オフ

HP開設以来、うれしいことに、全国色んなところにネット上のバド仲間が一挙にふえました。
そして今回の北海道行きではナント、ネットで知り合ったバド仲間と一緒に、札幌でバドミントンをすることができました!
当日、会場である「札幌ちえりあ」の体育館には30人くらいの人が集まったと思います。
その中で顔を知っている人は一人だけで、あとのみんなは実際に会うのは初めて。でも、チャットや掲示板を通してしゃべりあったことのある人たちと次々会えて、そして一緒にバドミントンできて、ホンマ楽しい一日でした。
滅多に会うことのできない北海道のネット仲間と2,001年の初打ちができるなんて、私は幸せ者だな〜としみじみ実感。
1月4日という、年あけそうそうの忙しい中、幹事を引き受けてくださってみんなを集めてくれた札幌のEYさん、ありがとー!

ここでもう一句。


「 これからは ラケバ欠かさず 北海道♪ 」(爆)



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